日馬富士よりも・・・

 大相撲における暴力問題が連日報道されている。19時のNHKニュースで、半分近い時間を費やした日さえある。首相を始めとする自民党の政治家にとって、これはありがたい話である。時は正に国会開会中。森友学園問題についての新しい資料(音声記録)は出てくるし、国民の目にさらしたくないネタがたくさんあるはずだからだ。
 一方、日馬富士の暴行事件なんて、あまり大きな出来事のような気がしない。暴力が悪いというのはそのとおりで、しかも横綱が加害者となれば、社会的影響力もそれなりに大きい。特に子どもに対する悪影響を避けるためにも、ある程度の処分は仕方がないだろう。それでも、あくまでもやむを得ないのは「ある程度の処分」であって、まさか引退勧告という話にはなるべきではない、と私は思っていた。
 一人を殺すと殺人罪で刑務所に入らなければならないが、戦争を始めて100万単位の人を殺しても、罪に問われる可能性は高くない。少なくとも、勝てば罪には問われず、場合によっては「英雄」になれる。それと同様、憲法という国の最高法規をないがしろにしてもしゃあしゃあとしていられるが、仲間内で命にも意識にも別状ない程度の暴力を振るったがために辞職に追い込まれる。万歳三唱で、わざわざ師匠と一緒に呼び出し注意を受ける。私にはこのアンバランスが理解しにくい。もちろん、憲法をないがしろにしてもしゃあしゃあとしていられるというのは、その後の選挙でも勝てているからであって、そうなると、私が理解しにくいのは政治家よりも国民の意識である。
 この事件が初めて明るみに出た時、ビール瓶で殴りつけたなどという話を聞き、それはまた派手にやったものだな、と驚いたが、その後いろいろな話が出てきて、ビール瓶は消えてしまった。翌日のうちに本人同士も円満に話し合って、後腐れがない状態になっていた、という話もある。診察した医師は、九州場所への出場を可能と考えていたらしい。書き始めれば、何度も「〜らしい」「〜ということだ」と結ぶ必要に迫られる。
 話がはなはだ不明瞭であるのは、被害者である貴ノ岩に対して、日本相撲協会が直接聞き取りを行えていないからである。なぜそれが出来ないかというと、師匠である貴乃花がそれを認めないからである。いかに協会といえども、師匠の了承なしに、力士を直接呼び出すことは出来ないらしい。協会が貴ノ岩の居場所さえつかめないというのは、なんとも奇っ怪な話である。貴乃花自身も、説明を拒んでいるという。学校で言えば、学校としてある生徒に事情を聴きたいが、担任が拒否しているから出来ない、担任自身も何も言わないというのと同じである。それで組織内の話が進まず、問題が解決しないというのは、およそ組織としてまともな状態とは思えない。
 というわけで、政治家との比較はともかく、今回の日馬富士事件についていえば、問題を分かりにくく大きくしているのは、なんといっても貴乃花親方であろう。九州場所が行われていたというのは言い訳にならない。
 多くの人が見ている中で行われた、たかだか1回の命に関わらない暴力沙汰で、事件から1ヶ月、発覚してから半月間、その詳細が明らかにならないというのは異常である。そして事件の解決というのは、迅速でなければこじれるか、皆が不満を持ちつつうやむやになるかのどちらかに進んでしまう。今回は前者であった。貴乃花が異様な行動を取り、問題がずるずると長引いたことで、日馬富士も精神的に追い詰められ、引退ということにもなってしまった。私はそのように想像している。どうも後味が悪い。
 少なくとも、相撲協会が、相撲界全体に責任を負っていながら、親方の権限に口を挟めないという状況は改善されるべきだ。日馬富士が引退したことで、なんとなく決着がついたような気分になっていくことはよくない。相撲協会には、貴乃花問題にこそ正面から切り込んで、ぜひすっきり初場所を迎えられるようにして欲しいものである。