高村光太郎 その後(1)

 6月17日付け毎日新聞の書評欄で、中村稔『高村光太郎論』(青土社)の書評を読んだ。拙著『「高村光太郎」という生き方』(三一書房、2007年)が出てから11年。この間、高村光太郎研究にどのような進展があったのか、私は追っていなかったことに気付かされた。10年以上経つのだから、この間にしかるべき量の論著が新たに書かれていないとしたら、高村は忘れ去られていく人物ということになるし、書かれているならば、この際追っておいた方がいいのではないか、と思った。
 調べてみると、高村光太郎研究会がだいたい年に1度出している『高村光太郎研究』という雑誌掲載論文以外にも、多少の論文は書かれているようである。ただ、ダウンロードできない、つまりは入手に面倒なものもあるので、後回しにすることにした。書籍は3冊ある。今回はこの3冊について論評しておくことにする。
 古い順に、最初は岡田年正『大東亜戦争高村光太郎』(ハート出版、2014年7月)である。これは論外。いわゆる右翼的な史観に立ち、戦争遂行に加担した光太郎を擁護する作品である。客観的に丁寧な考証が為されていて説得力があるのならよい。そうではないから困るのである。これは明らかに「偏向」だ。
 驚いたことに、213頁に拙著の一節が引用されている。

平居高志の、『・・・光太郎がどのように戦争に協力したかというだけではなく、なぜ協力したかという理由が表れています。それは、政府の発表の嘘を見抜くことが出来ず、日本の進める戦争がアジアの平和のためのものであると誤解した、ということです。』(『「高村光太郎」という生き方』203頁)という「沈思せよ蒋先生」についての彼の論には全く納得できない。」

 私は初めてこの部分を読んだ時、何が「納得できない」と言われているのか全く分からなかった。拙著には、当然ながら、賛否の分かれそうな部分も、自分なりに失敗したと後悔している部分もある。特に後者の場合、人から指摘されたら痛いと感じるだろう。だが、ここは全然問題になる可能性がない部分なのである。
 ちなみに、拙著引用部分は岡田氏も言うとおり、昭和17年(1942年)1月に書かれた詩「沈思せよ蒋先生」についての解説部分である。「沈思せよ蒋先生」は、当時中国で最大勢力を誇っていた国民党の党首・蒋介石に向かって、日本が東アジアを欧米から解放するために必死に戦っている時に、なぜその邪魔をして日本に刃向かうのか、と問いかけ、抵抗をやめるように訴えている詩である。なお、この後ですぐに問題となるのでついでに書いておくと、光太郎は昭和22年(1947年)9月に、「蒋先生に慙謝す」という詩を書いて、日中戦争侵略戦争であったことを認め、「沈思せよ」と呼びかけたことが間違いであったとしている。
 「沈思せよ蒋先生」に書かれているのは、「大東亜共栄圏の創設を目指す」という政府の宣伝そのものである。テキストを深読みしたり、他の新しい資料を見つけ出してくることで、これが光太郎の本心、あるいは作詩の意図ではなかったと明らかにするならともかく、そのような作業が為されている風でもない。
 上の引用部分は以下のように続いている。

「東亜を守らんとするには、アジアが手を結ばねばならず、そのために蒋介石の日本を敵に回すという態度を改めるべく『沈思せよ蒋先生』と呼びかけた状況認識の方は正しく、『蒋先生に慙謝す』の方が謬っているのである。」

 何の議論も巻き起こさないはずの拙著の記述に対する否定の理由としてあまりにも突飛なので、この平易な日本語を、私は何度か読み直さないと理解できなかった。そしてようやく、ははぁ、岡田氏は日中戦争をいまだに大東亜戦争、すなわち東亜を欧米から解放するための戦争として理解しているから、「沈思せよ蒋先生」の内容が歴史的に「正しく」、「蒋先生に慙謝す」が「謬り」になるのだ、と理解したのである。おそらく、最も激しく岡田氏の逆鱗に触れたのは、「政府の発表の嘘」という私の言葉だっただろう。氏が批判しているのは、テキストについての私の「読み」ではなく、日中戦争を東亜共栄のための私心なき戦争だったとは思っていない私の日中戦争観である。そして、アジア各地で部分的に行われた日本兵による善行を挙げ、特攻を「ボトムアップ(下からの希望)」の作戦であるとし、光太郎を読むために必要とは思われない蒋介石の人格攻撃をも辞さない。
 作者の修士論文と前掲『高村光太郎研究』に発表した論文とがベースになっているという研究書として、これはあまりにもお粗末である。氏は「この書は、私の基準によって書かれた高村光太郎論であると言っていいかも知れない。それが、独断的なのか、幾分なりとも普遍的な見解なのかは、読んでいただいてから判断してもらいたい。」と書く。私は読んだ。そして、疑いの余地なく「独断的である」と評する。
 まったく恐れ入る。奇しくも、拙著の引用は、岡田氏の思想というものを鮮明にあぶり出すことになった。私はそれを名誉と思うことにしたい。(続く)