夢と希望を語れない教師

 西日本の集中豪雨による死者・行方不明者は250人を超えた。水が出ない、35℃前後の気温という過酷な条件の中で復旧作業に当たるのは、いや、ごく普通に生きているだけで大変だろうと思う。気の毒である。
 先日、岩井克人「未来世代への責任」という文章を読んでいるという記事を書いた(→こちら)。その中で私は、岩井氏が17年前に未来世代のことだとしていた温暖化による環境破壊は、現在では現在世代の問題として感じられるまでに逼迫してきた、温暖化の原因を作る行為と、被害が出ることとの時差はどんどん小さくなる、しかし、それでも、温暖化は原因と結果の因果関係がはっきりしないために、破滅的状況に立ち至っても、人は自分たちの生活の問題(異常なぜいたく)に気がつけないかも知れない、というようなことを述べた。それからわずかに数日、今回の集中豪雨で、温暖化やその原因である私たちの異常な消費生活が問題にされない状況を見ていると、正に最終段階、すなわち現在が既に「破滅的状況に立ち至っても、自分たちの生活の問題には気がつけない」状態なのではないか、と思われてくる。人間が生き延びられる環境を保つためには、「気がついた」だけでもダメで、相当に思い切った行動が必要である。気が付くだけでも難しいのだから、行動はその数百倍も難しいだろう。
 勤務先の職員室にエアコンが設置されるそうである。職員室内で、私以外に「やめりゃいいのに・・・」と言っている人は多分いない。みんな大喜びで、下見に来た業者から、納期が8月末だということを聞くと、「え?そんなにかかるんですか?」とか、「7月中でお願いしますよ」とか言っている。私には明るい未来が一切見えない。夢と希望を語れない教師は失格だ。
 話は変わる。
 何人かの教員が集まって、生徒に学力をつけるにはどうしたらいいかとか、大学進学への対応をどうしたらいいかとかいうような話をしていた。当然、そこでは自分たちが接している生徒の現状も話題になった。
 ある人が、「生徒がはっきり返事をしないことが気になる。自分の意見を人に語るということが出来ない。そもそも、それは自分の意見を持っていないからだ。大学進学以前の問題として、そんなことこそ何とかしなければ・・・。」と言った。すると、その前に、たまたま課外のあり方が話題になっていたこともあって、別の人が、「それは課外とかではなく、すべての教科の授業の中で意識していかなければならないことなのではないか?」というようなことを述べた。何人かが納得したような顔でうなずいている。
 私は考えるのに時間がかかる人間である。多少の違和感を抱きつつ、あれこれ考えているうちに、話題は他のことへと移って行ってしまった。モヤモヤした気分でいたところ、突如、蒸し返しが許されそうな状況になったので、これ幸いと口を開いた。

「生徒が自分の意見を持てないというのは、教科学習の問題じゃないんじゃないかなぁ。なんだか最近、大人の過干渉・過剰サービスというのがすごく気になるんですよ。高校でも、特に部活や進路なんか見ているとよく分かるんだけど、本来は生徒がやらなくちゃダメなことを、大人が先取りしてどんどんやっちゃい、そして生徒に押しつける。高校だけじゃなくて小学校から、いや、生まれた時からずっとそうなんじゃないかな。大人が肩代わりしてやっちゃえば生徒の自立を妨げることになるし、自立できない生徒は自分の意見なんか持てるわけないさ。課外とか教科学習とかいう問題ではなくて、私たち大人の姿勢全体を見直した方がいいと思うよ・・・。」

 温暖化も大人の過干渉も、非常に大きな構造的問題である。いわば人間の内部崩壊だ。 あ、いけない!・・・夢と希望を語れない教師は失格なんだった。