官僚忌避と東大法学部の定員割れ

 西日本の方々には大変申し訳ないが「寒い」。石巻は今日、ついに20℃を超えなかった。飛行機に1時間乗って名古屋に行くと、気温が約20℃上がる。昨晩から、夜は全ての窓を閉め切って、長袖を着て寝ている。恐ろしや。

 さて、安倍政権が発足して以来、新聞のカラーというものが鮮明になっていると感じる。あのような極端な政治をしていると、意見を言う方も白か黒かみたいな対応を迫られ、違いが際立ってくるということだろう。以来、もともとあまり好きではなかった読売新聞には、嫌悪感を感じる場面が増え、手に取らない日がちょくちょく出てくるようになった。
 そうしたところ、日曜日に、久しぶりで読売の記事で面白いと思えるものを見付けたので、紹介しておこう。第1面と第2面に分けて書かれた「地球を読む」というコーナー。執筆者は東大名誉教授の北岡伸一氏だ。見出しは「東大法学部の凋落 官僚バッシングの帰結」となっている。
 東大法学部で異変が起こっているという。5年連続で定員割れなのだそうだ。え?まさか!と誰でも思う。今春の入試だって、文科一類は3.3倍だ。合格者から入学辞退者がそうそう出るわけもなく、定員割れはあり得ない。ところが、そのからくりを聞くと納得する。
 東大は文一が法学部、理三が医学部などと決まっているように見えるが、実は3年次に進む時に、進学振り分けというのが行われ、文一からは法学部に進むことを原則としつつ、それ以外に進むことも、文二や理一から法学部に進むことも可能だ。そしてこの5年間、文一から法学部に進まない学生が増え、他の科類から法学部に進む学生が減り、法学部の定員割れという事態が起きている。なるほど、ガッテン!
 だが、なぜそんなことになるのだろう? 北岡氏は、その原因として二つを挙げる。一つは法科大学院制度の失敗、もう一つは上級公務員制度の危機で、後者がよりいっそう深刻だと言う。
 上級公務員制度の危機とは、簡単に言えば、キャリア官僚になることに魅力を感じない学生が増えているということだ。では更に、なぜキャリア官僚に以前ほど魅力を感じないのだろう?北岡氏はこの点も分析している。
 公務員は激務である上、給与が安い。驚いたことに、日本の官僚機構のトップに位置する次官は、年収が大企業トップの約10分の1なのに対して、シンガポールでは優に1億円を超えるらしい。日本とアメリカ以外の国は、「優秀な人間を厚遇して働かさなければ国民が不利益を受ける」と考えるという。
 しかし、激務で薄給は今に始まった話ではない。ではなぜ、かつてはそれでも霞ヶ関に行きたがった学生がいたのに、今は避けるのか?北岡氏は、国家の運営に携われるという使命感と満足感を得ることが難しくなっているからだ、と分析する。なぜそうなるかというと、財政状況が悪くて新規事業が組めないこと、政治優位の中で、官僚が正しいと信じる政策がなかなか受け入れられなくなっていることによる、と言う。
 この見方は正しいのではないか?難関を突破してキャリア官僚になり、自己犠牲を払って激務に耐えても、その激務がアホな政治家の命令を遂行するだけだったり、更にはその尻ぬぐいをすることだったりすれば、バカバカしくてやっていられない、と思うのは当たり前である。
 世の中には、お金のかからない事業や、止めた方がいい事業というのもたくさんあるので、お金がない=国をよく出来ないという発想は、いかにも役人的で気に入らないが、人間にとってやりがいとか誇りとかが必要で、それのない職場は魅力が感じられないというのは、断然確かなのである(→参考記事=教育現場に誇りを取り戻せ)。国家財政が危機的状況であるのは、今の政権だけの責任にすべきではないが、政治優位による官僚の無力感、誇りの喪失、というのは、ほとんど現政権の責任だと思う。北岡氏も、「現状のような劣悪な待遇と政治に対する自律性の喪失が続けば、質の高い日本の官僚制は、維持できないだろう」と危機感を示す。
 とは言え、北岡氏は、そのような官僚制度の問題についてとやかく言ってもどうしようもないからか、定員割れを起こしている東大法学部を魅力ある場所にするためにどうしたらいいか、という方向に議論を進めている。第2面の見出しは、「『本当の学問』で学生刺激」というものだ。つまり、出口の魅力によって学生を集めることが出来ないなら、学部での学びの魅力によって集めるべきだ、と言うのである。これは、元東大教授の立場からすればまっとうな意見かもしれないが、官僚から誇りを奪った政権批判をあえて避け、ことを大学内部だけの問題に矮小化しようとしているようにも見える。
 この点については、もう氏の主張をなぞったりしない。ただ、氏が「受験勉強でこりかたまった頭脳に、本当の学問とは何かを教え、目の覚めるような刺激を与えるのが大学教師の責務である」として、1年生への教育の重要性を説く時、模範的な事例として持ち出されているかつてのハーバード大学のやり方には圧倒される。アジア科目の入門講義の担当者が、ライシャワーとフェアバンクだった、という話だ。日本研究、中国研究の第一人者で、机上の学問だけではなく、現地をよく知っていたという点でも破格の碩学だ。普通に考えれば、優秀な大学院生あたりを担当させたくなるに違いない。そこでまさかの入門科目だ。偉いな、ハーバード。
 東大法学部が、北岡氏の言うように学問の魅力を発信できたとして、その魅力に目覚めた学生は、ますます官僚になりたがらないのではないだろうか?研究者が育っても、国家を動かす原動力が輩出しない東大法学部は魅力的でない。これはなかなかのジレンマだ。