京都大学の終焉

 三段目44枚目の翔傑が今日勝ち越した。4勝3敗。これで来場所は番付が上がる。よかった。

 さて、しばらく前(5月30日)に、京都大学のタテカン問題について少し書いた。 京都市が、景観保護条例に基づいて、京都大学にキャンパスの周囲に置かれたタテカンの撤去を求めたところ、大学は学内規則を作って強制撤去に乗り出した、しかも、キャンパス内についても、大学が認めた団体のみ、所定の場所に一定期間だけ設置を認めることを規則に盛り込んだという。その際、私は以下のようにコメントした。大事なことなので、リンクを張るのではなく引用する。

「場所は学問の府、天下の京都大学である。タテカン設置の自由を奪うという管理的なやり方は、間違いなく学問にも悪影響を与えるだろう。唯々諾々と学生がタテカンを撤去するようなことになれば、それこそ問題である。今のところ、強制撤去に走る大学当局と反発する学生とのせめぎ合いが続いているようだが、やがて権力は押し切るだろうし、それは『抵抗することは無駄』という無気力を生む。これは私にとって『日の丸・君が代の教訓』だ。『抵抗することが無駄』であれば、『権力のすることを疑うことも無駄』である。疑わない対象は権力から既成の権威、偏見、先入観、学説へと拡大し、そうなると学問はもはや成り立たない。」

 最近、某所で『DAYS JAPAN』なる雑誌(7月号)をパラパラ見ていた。おそらくマイナーな雑誌である。私の尊敬する広河隆一なるジャーナリストが発行人だということからして、かなり硬骨漢向けの、商業主義的雰囲気の希薄な雑誌だ。
 「一方的な退去勧告 京大吉田寮」という見出しの記事が目に止まった。森岡剛洋という愛知県の県立高校教諭が書いている。京都大学吉田寮とは、1913年(大正2年)に建てられた木造の寮で、今も200人以上が住んでいる。昨年12月19日、大学は寮の自治会に対して今年9月末までの退去勧告を出したという。老朽化に対して適切な検討を進める、と言うだけで、具体的な提案はない。自治会はこの一方的な勧告に対して抗議声明を出し、撤回を求めているが、大学は話し合いにさえ応じていないらしい。
 情けない話だ。タテカン問題は、京都市という外部からの圧力もあったし、キャンパスの周囲の公道上だという問題もあった。だから、仕方がないとまでは言えないにしても、あきらめの材料を探せなくもなかった(←この否定語の連続に複雑な感情を読み取ってください)。だが、吉田寮問題は違う。結局のところ、京都大学も学問の府としての責任と立場を放棄した、ということなのだ。
 私の個人的な先入観によって言うなら、これが東大の話なら、「さもありなん」である。一方で、京大には自由や自治を大切にし、反骨をむしろ愛する気風を持っていてほしかった。その京大が、いかにも権威主義的に学生に勧告や命令を出す。話し合いには応じない。私はそんな京都大学に、いかなる将来的希望も見出すことができない。
 おそらく、これら二つの出来事は、京大の一部局が勝手にやったことではないだろう。今の総長は霊長類学者として高名な山極寿一である。え?この人こんなことする人だったの?というのが私の驚きだ。京都大学ホームページに載る氏のメッセージには、「京都大学は自学自習をモットーにして、社会とは少し距離を置きながら常識にとらわれない、自由の学風の学問の都であり続けなければなりません。」とある。タテマエとホンネは違う、ということか?
 吉田寮は、プライバシーがほとんどない相部屋。「吉田寮の魅力は?」と寮生に尋ねると、ほぼ全員が「いろんな人がいて、いろんな話ができることかな」と答えるという。これが豊かな学問を生む土壌でなくて、他に何があると言うのだろう?何もかもが間違いの世の中で、京都大学も例外であり得ない、ということなのだけれど、やはり心の中を冷たい風が吹き抜ける。