立派な建物よりも対話

 先週の土曜日、友人の紹介で、東北大学農学部の見学に行った。参加したのは、高校教員5名。
 かつて仙台市の中心部から徒歩30分くらいの平坦地にあった農学部は、何かの都合で、2年ほど前に郊外・青葉山という所に移転した。理学部と工学部の間、宮城教育大学の前である。
 「何かの都合」と書いたが、重要なのは、地下鉄東西線の開通だろう。これのおかげで、都心(仙台駅)から渋滞知らずの10分で、いわゆる東北大学青葉山キャンパスに到達できるようになった。東北大学の理系学部(医歯学部除く)が立ち並ぶ青葉山キャンパスは広大なので、地下鉄の駅ができても、そこから歩くのは大変だ、という建物も少なくないのだが、地下鉄青葉山駅のすぐそばにはゴルフ場があったため、その場所が手に入るなら、大学を拡張させるのには甚だ好都合だったのだ。
 ゴルフ場は手に入り、そこに新しい建物が建ち並んだ。その中に農学部もある。それを見せてもらおう、ということである。
 案内をして下さるのは農学部の某教授。青葉山駅から農学部に向けて「プロムナード」と呼びたいような広々ときれいでなだらかな(←これがいかにもゴルフ場のフェアウェイ風)一本道が続いていて、その北側には災害科学国際研究所、環境科学研究科などの建物、南には農学部のコモンホールなる建物が建っている。いずれもデザインに統一感のあるおしゃれで美しい建物だ。「いやぁ、金持ってるなぁ東北大!」がまず最初の印象。
 北西の丘の奥に大きな集合住宅のような建物が見えいている。いったい何だろうねぇ、と参加者同士で言い合っていたのだが、後から聞けば、留学生が来日してから住む場所を見つけるまでの間、3ヶ月だったかを上限として暫定的に住むことが出来る学生寮で、大学が建て、某大手不動産会社が管理しているものなのだそうだ。先ほど「学生寮」とは書いたものの、学生が自治権を持ち、人の住みかとは思えないほど雑然とした昔の「学生寮」とは似ても似つかぬ代物である。800部屋が常に満室で、中にはコンビニもあるらしい。
 農学部の建物は、パスカードがなければ建物の中に入れない。入ると、5階まで続く大きな吹き抜けがあり、その隣は中庭だ。掃除も行き届き、移転してきて2年半も経ったとは思えないほどピカピカで美しい。老朽化がひどくて狭い我が文学部と比べてみて、これが同じ大学の建物か?というほど違っている。
 おそらく某先生の研究室以外の研究室が管理する部屋には入れないのだろう。建物の中は見て歩いたものの、多くの高価で珍しいハイテク実験機器を、ねじ寄り立ち寄り見せてもらったわけではない。セミナールームで、学部案内の画像(パワポ)を見ながら説明を聞き、その後、教室や図書館があるコモンズという建物に案内してもらう。
 行く前に、「絶対に勉強したくなる図書館ですよ」と予告されていたが、確かに、この図書館はすごい。広大なワンフロアに、たくさんの書架が並び、きれいで機能的な机が置かれている。南側は、並んだ机の前の窓から外に目をやると、森とゴルフ場名残のフェアウェイが広がっている。四季折々に美しいことだろう。こんな所で1日中、心静かに本を読んだり物を書いたりしたら、さぞかし楽しいことだろうと思わされた。
 昔、街の中に農学部があった時、建物の裏で羊を飼っているのが見えた。私の農学部に対する印象というのは、あの羊である。ところが、新しい農学部にそんなほのぼのした光景はない。実験動物は飼っているが、全てラットのような小動物で、屋外での飼育などあり得ないとのことだった。
 私が今回安心したのは、このピカピカに美しく、合理的、機能的ではあるが、何かしら冷たさを感じさせる建物の中で、飲酒が許され、宴会も行われているという「昔風」であった。某先生が、若い割にしわがれ声であったのも、前日卒論の発表会があり、その会場でそのまま深夜まで打ち上げをしていたからだという。
 なにしろ、世の中には禁酒禁煙の学生寮すら存在するのである。しかし、語り合うというのは学問にとって決定的に大切なことである。そこにお酒が入ることも、何ら「悪」ではない。それでも、何かにつけて萎縮傾向、潔癖傾向の強い世の中では、世間に忖度しながら禁止されがちである。京都大学の立て看や吉田寮問題(→こちら)を少し思い出しながら、ああ、東北大学はまだ健全だな、と思い、将来に向けて希望を感じた。
 大切なのは立派な施設ではない。学問の主体は人間だ。人間は人間的な触れ合いの中でこそ育てられ、鍛えられ、磨かれる。そう思えば、あの息を呑むほど立派な図書館でさえ脇役に過ぎないのである。