肺炎と戦争

 塩釜神社では先週の金曜日に、子福桜が花を開いた。河津桜が先に咲くだろうと思って気にしていたのだが、そちらは今にも咲かんばかりにつぼみが膨らんではいるが、まだ開花には至らない。七曲坂の上の入口脇にある桜は木曜日に花を開いたのだが、何という種類の桜か分からない。幹を見れば、桜であることは確かだ。
 手元のメモを見てみると、昨年は、河津桜が3月12日、子福桜が13日に開花している。子福桜を見ると2週間、河津桜が明日にでも開花したとすると1週間あまり早いということになる。気象庁では、3月の気温を平年+2.5℃くらいと予測しているようだ。大丈夫かなぁ?地球。
 1月末に大学生の定期試験が終わり、列車の利用者がずいぶん減った。今回の肺炎騒ぎでまた一段と減った。行きは2月の頭から、帰りも2月下旬からは座るのに困らなくなった。この程度の混雑度なら、通勤が全く苦にならない。再び混雑するようになるまであと1ヶ月。この点についてだけは、肺炎が収束しなければいいのに、と思う。
 学校に行っても生徒は来ない。とはいえ、実は首相の休校要請とは関係なく、私の勤務先では、今日から16日まで、入試会場の大そうじのために登校日とした明朝の1~2時間以外、生徒は高校入試にともなう「自宅学習日」となっている。17日からは授業を再開する予定だったものの、諸般の事情で3時間授業だ。だから、授業との関係だけで考えれば、「休校」もあまり影響がない。職員の仕事も高校入試が大半を占めるので、楽にはならない。部活も、入試当日と採点日3日間は、校地内立ち入り禁止等の措置が執られるため、どっちみちできない日が多く、これまた「休校」期間が長い割にはダメージが少ない。
 とは言え、ダメージは「少ない」のであって「無い」のではない。特に、最初のうちはいいが、「自宅学習日」が明ける予定だった17日以降は、ストレスだろうなぁ。私としては、何をするにしても「そんなことやっていいの?」と周りや管理職の意向を探るという萎縮感が何とも鬱陶しい。
 少し、首相の話に戻る。
 一昨日の首相自らによる記者会見を見ていて、例によって「虫酸が走る」思いがした。自信満々の「どや顔」である。いかにも、自分が国民の安全を真剣に考えた結果、痛みを顧みずに大きな決断を下した、といった表情だ。
 私は彼が本心において自信満々であるとはあまり思わない。そのような顔をすることが、他力本願である多くの国民から歓迎されることを知っていて、そのようにしている。その国民を小馬鹿にした(ただし、国民がだまされるということは、国民が小馬鹿にされるに値する存在であることを意味する)腹の底が見え透いているところが、なおのこと不愉快なのである。弱い人、怠惰な人は、正しいかどうかに関係なく、強そうに見える人が大好きで、その木の陰に入ろうとする。
 首相が繰り返す「危機」という言葉を聞きながら、「戦争」を思い起こした人は少なくないだろう。どう考えても、日本全国で1日に10人か20人が発症している病気についての談話ではなく、まるでどこかの国から攻撃を受けたかのような物言いだった。私が思い起こすのは、森達也だ。彼は人が不安や恐怖にいかに弱いかということをよく語る。そして、「どんな戦争でも、始まりは煽られた危機管理意識が招く過剰な自衛なのだ」と言い、ナチスの重鎮(国家元帥、ゲシュタポ創設者)ヘルマン・ゲーリングの言葉を引く(『日本国憲法太田出版、2007年。178頁)。
 「政策を決めるのはその国の指導者です。(中略)そして国民は常にその指導者の言いなりになるように仕向けられます。国民に向かって、我々は攻撃されかけているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていることで国を危機に陥れたと非難すればよいのです。」
 モリカケ、桜、検事総長で分が悪い首相にとって、何とも好都合な非常事態ではないか。
 よく言われることだが、日本はウィルス検査の態勢が整っていない。韓国では1日に1万数千人がドライブスルー方式で検査を受けているらしいが、日本では希望者が多いにもかかわらず、実際に検査を受けられている人が1日に1000人になるかならないか、といったところらしい。韓国はこの数日間、感染者数が毎日500人以上のペースで増えているというが、日本の感染者数の少なさと、韓国の多さは、単に検査態勢を反映しているだけのようだ。
 ということは、首相は、オリンピックを控えて日本が安全であることをアピールするため、感染者数を少なく見せる方策を講じつつ、現在の感染者数が実態を正しく表していないことを知っていて(発表よりもはるかに多くの感染者がいると思っていて)、やむを得ず社会的ダメージのあまりにも大きい手段に訴えたのではないか?
 仮に、現在発表されている感染者数が正しいとして、それが急激に増えなかったり減少したりすれば、首相は自分が全面休校などという荒療治を決断したからだと誇るだろうし、仮に増えたとしても、荒療治のおかげでこの程度で済んだ、とするだろう。増えるにしても減るにしても、休校との関係など確かめようがないのである。
 彼が大好きなもうけ話=経済へのダメージは想像を絶する大きさだろうが、昨日の記者会見では、国の予備費でいろいろなことをするらしいから、その金がばらまかれるのではないか?予備費は、決して「余っている」お金ではない。借金である。もちろん、「首相の」ではない。「国民の」である。

 信用できない人の話は、何から何まで信用できない。