コロナに関する文科省通知の問題(1)

 毎週末、土日のどちらか、60㎞ほど離れた所に住んでいる老母のところに生活支援のために行く、という話はおそらく何回か書いた。何しろ親だし、石巻に居着いてしまった親不孝の自覚もあるので、そのことについて文句などあろうわけもない。しかし、庭の草刈りなど、週末でないと出来ない仕事がそれなりにあるので、時間的には窮屈だと感じることもある。
 月に一度くらい、東京在住の妹が母の所にやって来る。その時は、私が休み。それが9月はこの土日だった。しかも、昨日中国から届く予定だった荷物(書籍)が、通関手続きの関係で1週間遅れることになった。というわけで、少し時間に余裕があったし、天気もよかったので、今日は久しぶりで牧山(往復12.5㎞、累積標高差300mあまり)に走りに行った。年齢のせいなのか、最近は、走ると足の張りが取れにくいような気がする。それで、我が家の庭(南浜津波復興祈念公園)の周回道路(約2.7㎞、平坦)を2周くらいしてお茶を濁したりしていたのだが、いざ牧山に行ってみると、以前と比べて大変だと感じることもなく、やはり変化のある山道はいいなぁ、と、実にすがすがしい気分で帰ってきた。
 一方、すがすがしくなかったのは、今日の新聞で読んだコロナに関する文科省通知の記事である。もちろん、これは日常茶飯事で、むしろ今どきの政治がらみの話題で明るい気分になれることなんかほとんどない。世の中が怒濤のように間違った方向に進んでいると感じることばかりだ。
 さて、今朝の記事とは、文科省が、新型コロナウイルスによる感染やその不安を理由に中学校を休んだ生徒が、高校入試で不利益を被ることがないよう、内申書に出席停止日数を明記しないといった配慮をするよう全国の教委に通知した、というものだ。
 現在、指定された伝染病にかかって学校を休んだ場合は、「出席停止」という扱いになり、出席すべき日数にカウントされないようになっている。これは、「欠席」扱いになるのが嫌で、無理に登校し、周りの生徒を感染させることにならないよう、「欠席」にしないから学校に来ないでくれ、としているものである。体調が悪くて、学校に行きたくても行けない状態であることについては同じなのに、ただの風邪なら「欠席」、インフルエンザなら「出席停止」というのは、なんだか不公平な気もするけれど、一定の合理性があるやむを得ない制度だと思う。新型コロナウイルスは当然、指定伝染病になるので、感染した場合「出席停止」にすることについては、私も異存がない。
 一方、昨日の通知以前の話、まず私は、感染の不安から欠席するものを「出席停止」扱いにするのはそもそも間違いだと思っている。なぜなら、他に感染を広げるのを防ぐのが「出席停止」であり、感染に不安を感じている生徒が登校しても、他に悪影響を与えないからである。
 「コロナウイルスが怖くて学校に行きたくないという気持ちは分かるから、欠席はなかったことにしてあげるからね」というのは、ただの甘やかしである。学校が、感染源になる危険性が高いと合理的に判断したら、学級閉鎖、休校という措置を執る。感染をゼロにするためには、コロナが完全に沈静化するまで休校にしてしまうのが一番確実だ。しかし、それは極端な措置である。コロナに対しては安全だが、生徒の学習権は失われる。教育委員会や学校は、それらメリット、デメリットを比較衡量する中で、様々な対策を取りながら授業を継続しているのである。その中で、「学校にはまだ危機感が不足している。今の学校には怖くて行けない」などと言う人がいれば、それはその人独自の感覚、判断なので、自己都合の欠席で差し支えがない。「不安」による欠席を「出席停止」にする場合、他の伝染病に対する不安とどう違うのかよく分からない。「いやぁ、コロナとインフルエンザはやはり違うでしょ?」と言ったところで、何に不安を感じるかは個々人の問題なので、その違いを説明し、規範として明示できるようには思えない。
 現在、ワクチン接種のために学校を休むのも「出席停止」である。朝9時の予約でも丸1日「出席停止」だし、夕方4時の予約でも丸1日「出席停止」である。良識ある生徒は、すぐに副反応が出るわけではないからと、接種が終わってから学校に来る、あるいは授業が終わってから接種に行く。一方で、「出席停止1日」を権利として主張し、休む生徒も少なくない。
 副反応も「出席停止」である。38℃も熱があれば仕方ないかな、と私も思うが、腕が痛いと言って休む生徒もいる。それでも「出席停止」である。
 文科省からは、ワクチン接種は「最優先」であるとの指示が来ている。その結果、定期考査と重なるように予約をした生徒もいる。文句は言えない。「最優先」であり、そのように配慮するようにというのがお上の意向なのだから・・・。私は、ワクチンの接種率を上げることが政権の評価に直結するということから生じただけの配慮であると思うが、もちろん、だから自分の学校だけは無節操なワクチン接種、副反応の「出席停止」を許可しない、とは言えない。
 何でもかんでも「いいよ、いいよ」「コロナだから仕方ないよね」で進んでいく。休めるのは当然。「ワクチンの予約する時には、学校のスケジュールのことも考えなさい」「多少体調が悪くても、病気ではないのだから頑張って来なさい」などと言う人がいれば、「物わかりの悪い人」「コロナに対する危機感の足りないダメ教師」と言われそうな雰囲気だ。しかし、こうして甘やかして育てた生徒は、会社に入ってからも同様の待遇を要求し、厳しいことをいわれれば「パワハラだ」と言い出すのではないのか?

 根っこには国民の顔色を窺う(←私はこれを「民意を尊重する」と書く気にはなれない)政府があり、批判を恐れる学校は、とにかく生徒・保護者の意向に迎合する。「本来どうあるべきか」という理念など微塵もない。その場しのぎのことばかりだ。そして、一度それが始まると、ひたすら最も緩い基準に合わせざるを得なくなっていく。なぜなら、そうしなければ「不公平だ」、更には「冷たい」という苦情が寄せられ、その対応にまた途方もない手間がかかるからである。大人たちが(文科省・教委、学校、保護者など全ての大人)が、よってたかって子どもをダメにしていく。やがてそれは大きな社会的負担になっていくはずである。私は(おそらく)独り、日々学校で、罪悪感に悶々としている。