検証「新しい生活様式」・・・コロナの5類移行に当たって

 コロナが5類の感染症に変わった。学校では、それに当たって保護者宛の文書を出したが、ざーっと読んだだけだと、何が変わったかよく分からない。今後もできるだけ感染を抑えるという姿勢で書かれているからだろう。とりあえずは、家族が感染したからと言って、「濃厚接触者」なる指定を行わず、登校が各自の判断に任されるとか、学校行事を企画する上での制限がほぼなくなる、といったあたりが変化するのかと思う。
 私は、あまりにも遅すぎたと思っている。思えば、私が「新しい生活様式」なるコロナ対策に危惧を感じて書いた作文が河北新報に載ったのは、学校がまだ一斉休校中だった2020年6月26日のことだった。もっとも、その作文を新聞社に送ったのは5月16日のことで、それは新型コロナウイルスなるものの存在を一般人が耳にするようになってまだ3~4ヶ月、「新しい生活様式」が訴えられるようになってからわずか10日ほどの時点である。我ながらその敏感さに驚く。今、それを振り返ってみよう。
 まずは、その時の記事を再録する。
 
「物事というのは、必ずメリットとデメリットを併せ持っている。メリットの副産物であるデメリットは、時間が経ってから現れ、しかもメリットよりもよりいっそう深刻重大なものになる場合が少なくない。経済活動による環境問題の発生などは、その分かりやすい例である。
 長い時間的スケールで現れ、因果関係を検証することが難しいからといって、そんなデメリットを軽視するのは危うい。
 現在、私が特に危惧するのは「3密」の回避、マスクの着用、消毒、頻繁・丁寧な手洗いなどが、「新生活様式」という言葉を得て、固定化されそうな気配であることだ。
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 「3密を避ける」とは、裏返せば「疎にする」ことだが、人間を「疎」にしようとすれば、集会が成り立たないのはもとより、人間関係そのものも「疎」になってしまう。
 マスクの着用も、熱中症の原因になるということよりも、いっそう深刻なのは人間関係への影響だろう。顔の半分以上を隠してしまえば、顔から人柄や感情を読み取ることは難しい。電車や店の中で、ほぼ全ての人がマスクをしている光景は異様である。ネットの中の匿名世界をほうふつとさせて恐ろしい。
 例えば、私が勤務する学校という場所は日々、生徒の状態を観察しながら教育活動を行うことが求められる。教員間の情報交換で、生徒について「今日は表情がいい」とか「悪い」とかよく言う。漠然とした表現だが、とても重要な情報だ。マスクはその障害になる。そもそも新入生ばかりでなく、1年以上付き合った生徒でも、目の前の生徒が誰だか分からない。
 人間が、人との関わり合いなしでは生きられないとすれば、人間関係を「疎」にすることは、人間社会をゆがめ、将来的に多くの社会問題を生み出すことになるかもしれない。ただでさえも、今の世の中では人間関係を煩わしいものとして敬遠しがちで、個人情報保護がそれを加速させている。犯罪の増加や解決の難化を引き起こす可能性もある。
 消毒にしても手洗いにしても、既に過度と言ってよいような現代人の清潔志向を、更に推し進めることになる。それは人間固有の抵抗力の獲得を阻害することになるだろう。
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 人と人とが目的と親しさに応じた距離で接し、表情を見ながらコミュニケーションを取り、きれい過ぎない環境で自然と共存していく。たとえ煩わしく、リスクがあったとしても、それが人間にとって本来の生活なのだということを、忘れてはならない。そんな生活を一刻も早く回復させる必要があるだろう。
 そのためには、感染症対策に極端なまでに特化した価値観を問い直すことが必要だが、まずは「新生活様式」といういかにも進歩、発展の先にあるかのような名称を廃し、現在の措置が臨時であることをはっきりと示すことから始めてはどうか。」

 

 この頃は、まだ新しいコロナウイルスの性質もよく分かっていなかったし、急激な重症化や死亡のニュースに接することも多かった。それを思うと、やや勇み足の感もある。一方で、コロナ対策に、感染を防ぐ効果だけではなく、負の側面があることを指摘したことについては、それなりの価値があったと思う。マスク生活が定着することによって人間のコミュニケーション文化が根底から変化させられること、過度の清潔志向が人間を脆弱にし、かえって危険であることなどなど、その後もさほど重要視されることのなかったことではあるが、それは「今日の感染者は○人」などという数値に比べて、因果関係も引き起こされたダメージも明瞭でないために軽視されているだけで、実際にはとても深刻なことであると思う。特にその影響は若者において著しい。今振り返ってみても、2020年5月という早期に、それらを軽視してはならないとした主張は、決して間違っていたとは思わない。
 そして、そんな立場からすれば、5類への移行が今になってしまったことは、あまりにも遅すぎた。毎日毎日、テレビで繰り返される「今日の感染者は○人で、先週の同曜日に比べてプラス(orマイナス)○人」などという報道に惑わされ、感染者が何人ということだけが大切にすべき指標であるかのように誤解され、人間社会を大きくゆがめた。私は昨年の夏くらいが見極めの限界だったと思っている。
 今日だって、マスクを外した生徒はほとんどいない。素顔を見せることが不自然だ(恥ずかしい)と意識され、もう外せなくなっているのだ。しかも、新聞にも書いたとおり、コロナ対策が人間関係を面倒だとして避ける昨今の欲求と重なり合っているから、余計にたちが悪いのである。さて、日本人は、今後どれくらいの時間をかけて、本来の生活を取り戻していくのだろうか?もしかするとダメージが大きすぎて永久にダメかも、などと私は思う。