奥深き浜田海岸

 ご無沙汰いたしております。残暑お見舞い申し上げます。
 ふと気がつけば、前回からまるまる10日間、何も書いていない。もしかすると、平居は夏休みで、旅にでも出ているのではないか?などと想像をしておられた方もいるかもしれない。残念ながら、ごく普通の生活をしていた。普通でないのは、さすがに学校も通常よりは暇なので、日中時々、暑い中を走りに出ることがあったくらい。わざわざ暑い時間を選んで走りに出るので、人(同僚・生徒)からはまともな人間とは思われていなかったかもしれない。私の耳には入って来ていないが、「平居M説」というのもあって当然だ。もちろん、これは私流の温暖化対策である。
 加瀬沼、多賀城跡方面に、まずまずお気に入りの10㎞コースを見付けたのだが、それは触れると長くなるので、またそのうち。あとは、静かな図書館で、読み書きに没頭していた。
 今週について言えば、何も書かなかった理由ははっきりしている。暑すぎたのである。月曜日から木曜日の午前中まではひどかった。なに、しょせん仙台・石巻ではないか、と言う人もいるであろう。そのとおり。石巻の最高気温を見ると、1番高かった15日でも31.2℃に過ぎない。熱帯夜はゼロ。湿度を見てみると、87〜92%で、確かに高い。例えば8月5日からの3日間は、3日連続で90%を超えているが、気温が29.8℃、21.5℃、19.7℃だから、気温と湿度との関係でいえば、やはり今週はひどかったのだろう。特に湿度にはまいった。熱帯夜がなかったというのも信じがたい。結局、暑さというのは湿度なのだな。
 16日の夕方から一気に秋の気配となり、昨日からは朝晩寒いくらい。それで、ようやく脳の活性が回復してきた。我が家から見る太平洋は真っ青で、湿度が70%を切った時の色だ。美しい!
 さて、16日(木)の夜、塩釜ロータリークラブ主催の納涼家族会というのに参加した。何しろ山岳部が機能停止中ということもあって、今年、私は「インターアクト」という、平たく言えばボランティア同好会の顧問もしている。この「インターアクト」という聞き慣れない言葉は、ロータリークラブに起源がある。安直にWikipediaなど見てみると、「インターアクトクラブ」なる項目があって、それを「ロータリー直営の青少年奉仕活動プログラム」と説明している。つまり、ロータリークラブのてこ入れによって高校内に作られたボランティア部が「インターアクト同好会」なわけだ。そんな縁で、校長と顧問に納涼会の声がかかる、という仕組みである。
 場所は船である。丸文松島汽船の「あおば」という船に乗り、塩釜の観光桟橋を17:30に出港して、飲食しながらゆっくりゆっくり、通常の遊覧コースではなく、陸前浜田の海岸線を巡り、1時間あまりかけて松島海岸の桟橋まで行く。
 意外だったのは、海から浜田の海岸線に近づくと、浜田の集落が全然見えないことである。毎日電車で通っている東北本線仙石線と国道45号線とが海際を並走する部分も見えない。島々が重なって、なんだか深い入り江に迷い込んでしまったかのような風景だった。日暮れ時だということもあったのだろうが、自然の濃さを強く感じた。
 ちょうどこの日は松島の灯籠流し+花火大会の日である。船が松島海岸に近づくと、海上にはたくさんの灯籠が浮かんでいた。花火大会は、わずか20分の短いものである。昔は、松島海岸の花火大会と言えば盛大なものだったが、いつからだったか、行われなくなってしまった。ゼロにするのは寂しいということで、小規模な花火大会を細々と維持しているらしい。これらを観光客の存在を気にすることなく、船から見物できたのはよかったかも。もっとも、半ばお仕事で行っているという意識もあり、26日に予定されているロータリークラブ主催の愛媛の高校生との交流会の打ち合わせがあったり、塩釜の名士の方々が入れ替わり立ち替わり私たちの席にお話に来てくれて、しかもそれが面白かったりしたものだから、じっくり見物した、というわけではないのだけれど・・・。
 往路は1時間以上かけた所を、復路は30分で移動し、20:20頃には下船となった。自分が就職に関わった水産高校の卒業生にも会えて、元気に仕事をしている様子が見られたし、いい時間を過ごしたのだが・・・それよりはむしろ、そんな話題しかない程度の過去10日間だった、ということである。
 あ、そうそう、もう一つ、結構大きな出来事があったのだけれど・・・またそのうち。