新元号は「永晋」!

 平成30年度も今日でおしまい。明日からは平成31年度らしいが、1ヶ月後には元号が変わるわけだから、平成31年度はしっくりこない。
 それにしても、政府やマスコミの元号を巡るこの仰々しく、もったいぶった動きはいったい何なんだろう?詳しく記憶も記録もしていないが、ずいぶん前から、制定に関するスケジュールや選考についての規則、手続きなどが頻繁にマスコミの話題になっている。しかも、新聞で言えば常に「第1面」ネタだ。え?元号ってそんなに大切なものなの?などと言った日には、「非国民!!」という怒号が寄せられそうなので言わないことにするが(既に言っちゃった?)、私としてはかなりどうでもいいことに属する。年数計算が面倒だから(私の教員免許は平成39年度末まで有効!)、役所の文書で元号使うの止めてくれないかなぁ、別にヨーロッパに頭を下げるわけではなく、ただ単に便利だから西暦にしてくれないかなぁ、といつも思っている。
 新元号決定の直前に有識者会議というものが開かれることになっていて、そのメンバーに、iPS細胞の山中教授が選ばれたということが話題になっていたが、山中氏がいくら優秀な人だとしても、元号の選定の最後の一場面で、それについて何ができるというのだろう?彼はどのような意味で「有識者」なのだろう?と、私は、笑ったりあきれたり憤ったりしていた。
 元号についてのもったいぶった動きは、天皇というものをありがたく見せるための装置に過ぎない。暇で平和な世の中で、話題に事欠いて大騒ぎしているだけかも知れない。うんざりするほど耳にする「平成最後の~」も同じである。
 何度か書いたとおり、今上天皇ご夫妻に対する尊崇の情並々でない私も、この元号を巡るドタバタを見ていると、「天皇」という存在は危険だな、と改めて思う。「やはり」ではあるが、元号の必要性や重要性なんて、ほとんど信仰・宗教の世界だ。
 明日が新元号の発表らしいので、今日のうちに書いておく。私の予想は「永晋」または「久晋」である。中国古典の中に、それらの根拠になり得る部分を探せたわけでもないし、探そうともしていないのだが、日本にも中国でも、過去にそれらの元号が使われたことがないことは確認した。「晋」は元々、太陽が進み昇る意味で、それがやがて「進む」という一般的な意味で用いられるようになる。「進」と言えば、「進歩」「前進」の意味なので、それが永久に続くというのは実にめでたい。
 しかし、このブログの読者なら既にお察しの通り、そんな意味はタテマエで、ホンネは「永久に安倍晋三の政権が続きますように」という意味だ。安倍政権ならそれくらい破廉恥なこともやりかねない。いや、さすがにそこまで露骨なことをするのははばかられるとなれば、「晋」を同音同義の「進」で置き換え、「永進」「久進」あたりで手を打つ、という可能性が高いかも・・・。「平成」時代の政権の勢いをそのまま維持できますように、ということであれば「承平」もありそうだが、こちらは平安時代に一度使われてしまっている。「継平」は、「継」が四角すぎて元号らしさがない。やはりボツ。
 「晋(進)永」か「晋(進)久」の方が落ち着きがいいようにも思うが、ローマ字表記による略称を使う際に混乱を避けるため、明治、大正、昭和のM、T、Sは頭文字にならないようにするというのは決まり事のはずなので、残念ながら(?)「晋(S)」で始まる元号はナシだ。EやKなら問題がない。
 本当にどうでもいいな。明日は2019年4月1日である。