インフルエンザの猛威、または品田悦一氏の万葉理解

 今週に入ってから、特にこの2日間は暖かく、桜が一気に満開になった。塩釜神社も我が家も、である。桜の何がいいって、あのなんとも上品で柔らかな色なのだな。朝の塩釜神社は本当に気持ちがいい。
 ところが、春爛漫のいい気分とは反対に、学校ではインフルエンザが猛威を振るっている。私が先週3日間お休みした話は既に書いたが、その後、まずは教員から、次に生徒から、続々とインフルエンザA型の感染者が現れ、パンデミック(←やや大げさか?)になるのを恐れた校長は、月曜日の4校時から東キャンパス全体(普通科1・2年生)の閉鎖を宣言した。やっと授業も始まり、新学期ムードも高まったところで、まさかの2.5連休である。一応、明日から授業再開の予定。
 いかにも私が悪いみたいだが、私と同時に発症した教員もいることだし、無から有は生じないので、私は私で誰かにうつされたに違いない。結局、1学年普通科の教員15名について言えば、約半数の7名がこの1週間でインフルエンザにかかった。他に、インフルエンザではなかろうかと疑わしい(調子悪そうな)教員が2名いる。恐るべし、インフルエンザの感染力!
 ところで、先日、新元号「令和」についてぶつぶつと不満めいたことを書いたところ(→こちら)、読者の方が「『令和』から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」(以下、「メッセージ」)という東大教授・品田悦一(しなだ よしかず)氏の論考を送って下さった。「緊急寄稿」と書いてあるが、どこに寄稿したものなのか分からない。ネットを駆使して調べてみると、どうやら『短歌研究』5月号(4月20日発売予定)への寄稿のようだ。しかし、発表前の原稿がなぜ流出しているのかは分からない。その点については、ちょっと怪しい論考だ。とは言え、なにしろ著者はれっきとした東大教授で、内容を見る限り、誰かが品田氏の名前を語って書いているとはとても思えないものである。
 この論考は、元々品田氏が朝日新聞の「私の視点」欄に投稿したものだそうである。採否がはっきりする前に、『短歌研究』が緊急掲載に及んだらしい。一方その朝日新聞は、昨日、品田氏の万葉集についての考察を、かなり大きく取り上げた。見出しは「万葉集『愛国』利用の歴史」というものである。
 「メッセージ」は、「令和」の出典とされる『万葉集』巻5「梅花歌三十二首」序を問題とし、時代背景や全体としての意味を考え、王羲之「蘭亭集序」との関係も考えながら、実は「令和」の典拠とされる部分からは、「権力者の横暴を許さないし、忘れない」というメッセージが読み取れるとする。政権にとって非常に厳しい指摘だ。それに対して、昨日の朝日は、品田氏の『万葉集』が近代以降、政治権力によって都合よく利用されてきたという説だけを紹介する。せいぜい、『万葉集』という日本古典が元号の出典になったことを、手放しに喜んでいるわけにはいかない、という程度のものである。
 ははぁ、朝日新聞は、品田氏からの投稿を受け取ったものの、あまりにも厳しい政権批判であることに恐れを成し、掲載をあきらめた、だが、内容的にはとても重要であることを考慮し、「令和」ではなく、『万葉集』一般についての漠然としたテキスト論を掲載することでお茶を濁した・・・こういうことなのではないだろうか?
 品田氏が、「およそテキストというものは、全体の理解と部分の理解とが相互に依存し合うという性質を持ちます。一句だけ切り出してもまともな解釈はできないということです」(「メッセージ」)と語るのは、まったく正しい。その上に立って、問題の箇所が「権力者の横暴を許さないし、忘れない」というメッセージを含むとすることも正しいと思われる。だが、本当は、朝日新聞はそんな内容的な厳しさなど恐れることなく掲載すればよかったのだ。なぜなら、新元号が発表されただけで現政権を支持したくなるような人々(→こちら)にとっては、どうせまったく理解不能な論説であるに違いなく、そんな論説を掲載することが、政権の支持率を下げることにも、まして致命的なダメージを与えることにもなるはずがないからである。