娘と原爆の是非を考える(1)

 昨晩は町内会の夏祭り(盆踊り)であった。なにしろ、近所付き合いというものがほとんどない、まるで大都市のマンションのような地域である。ご近所さんと路上ですれ違う以上の付き合いをすることは、ほとんど年に1度、この時しかない。貴重な場である。しかし、それを貴重だとか、大切だとか思っている人は少数派で、高齢化と参加者の減少は著しい。
 朝6時から、櫓の設置を中心とする会場準備を行った。たまたま、今年は例年より1週間遅い開催で、小中学校主催の奉仕作業と重なったこともあって、参加者は15名ほど。高齢化は、50代半ばの私より若い人が1人いたかいなかったかというレベル。名前を知っている人もほぼゼロ。長年使っていた空き地に、今秋からは警察寮の建築が始まることになっていて、来年は場所が確保できるかどうかも分からない。地域社会の未来は暗いのである。
 ところで・・・
 今月5~7日、中3の娘が市の使節として広島に行った。石巻市非核平和都市宣言をしている都合で、毎年、中学生の使節を広島に送り、平和記念式典に出席させているのである。市内の各中学校から1名。と言えば、いかにも娘が優秀だから選ばれたみたいだが、そうではない。本当は「おにぎり大使」というオーストラリアへの親善使節に申し込んだのだが、優秀でないために落選。そうしたところ、広島への申し込み者がいなかったものだから、参加してくれない?と声をかけられたのである。
 娘は最初渋っていた。広島は怖い、と言うのである。おそらく、断片的に学習した原爆の惨状を思い浮かべ、現場に行ったら更に悲惨なものを見せられると思い、怖じ気づいたのである。折角のチャンスだから行ってこいよ、と両親がしつこく言うものだから、最終的には首を縦に振った。行ってみれば楽しかったらしく、ご機嫌で帰宅。
 さて、明日から石巻の小中学校は新学期。この数日、あわてて夏休みの宿題を片付けていたのだが、その中に「弁論原稿」というものがあった。娘は原爆をテーマに選んだ。妻に「パパに目を通してもらいなさい」とうるさく言われ、3日前、娘は私の所に原稿を持ってきた。一読して私は「こんな薄っぺらい中身じゃダメだ」と言い捨てた。その上で、重要な問題を二つ指摘し、考えるよう命じた。私が指摘した問題(与えた課題)とは次の2点だ。

アメリカ人が「原爆のおかげで戦争が早く終わり、死者が少なくて済んだ」と原爆を肯定するのに対して、「しかし、こんな悲惨な原爆が許されていいわけがない」という反論は感情的であり、説得力がない。アメリカ人が納得できる反論を考えよ。
・「原爆が二度と使われることがないよう、私は私にできることをやっていきたい」という結びは、何も言っていないのと同じことだ。「私にできること」とは何か、具体的にせよ。

 後者はともかく、前者は大人にとっても難しい問題なのではないか?娘は意外に嫌な顔をせず、彼女なりに考えようとはしたようだが、いかんせん、頭の回転が速い子ではない。一昨日、どれくらい考えたのか尋ねたところ、ずいぶん的外れ、とんちんかんな答えを幾つかひねり出しただけであった。昨日、改めて答えを求めてみたが、予想どおり、ほとんど何も変わっていない。そこで、夏休みの宿題は宿題として、内容軽薄な作文を提出させ、その後、更に考えさせてもいいのだが、すると嫌気がさす可能性が高いと思ったので、私はあきらめて次のような話をした。

アメリカ人の言っていることは正しいかも知れないよ。長崎と広島を合わせて、原爆では20万人余りの人が死んだと言われているけど、原爆を落としていなければ、日本は敗戦を受け入れる決心を付けられず、更に100万人が死んだかも知れない。そんなことはない!という反論は、少なくともできないな。それは仮定の話なんだから。
 だけど、アメリカの本土は戦場にはなっておらず、日本軍による空爆の心配もなかった。戦争が長引いたとしても、死ぬのは軍人だけだ。しかも、特に戦争の末期には、アメリカ軍が圧倒的に優勢だったこともあって、日本人の死者数に比べれば、アメリカ兵の死者数なんて取るに足りなかっただろう。実際の数字は知らないけど、日本が、軍人と民間人合わせて1万人死んだ時に、アメリカ兵の死者1人、ということだってあり得たと思う。だけどこの時、その1人をゼロにするためにでも、アメリカは原爆を使ったかも知れない。アメリカにしてみれば、両国で何人死ぬかが問題なのではなく、アメリカ人が何人死ぬかが問題だったはずだよ。原爆で民間人が多く殺されたということを根拠に、そんなアメリカを批判することは可能だろうか?
 さて、ここでひとつこんなことを考えてみよう。(注:我が家には娘がこの上もなく可愛がっているAという弟がいる)もしも今、Aが殺されそうだとする。Aが殺されないようにするためには、お前が手元の武器を使って10万人のアメリカ人を殺す必要がある、そしてそれは可能だとする。さあ、お前はどうする?Aを救うために、10万人のアメリカ人を殺すか、10万人ものアメリカ人を殺すのは気の毒だからAをあきらめるかだ。」

 この問いかけは、私の予想をはるかに上回って娘に衝撃を与えたらしい。表情が一瞬にして凍り付いたのが分かった。(続く)