動きながら考える

(2020年7月9日付け「学年だより№53」より②)


【ちょっと悲しいスタディ・サポート】

 早くも結果が帰ってきた。個人シートは近日中に渡す。私は各自のデータも含めて、真っ先に目を通させてもらった。あまりほめられることはない。まずは次のデータを見てみよう。
 誰でも簡単に分かるのは、平均して(←あくまでも平均して、です。個人差はとても大きい。)勉強時間が大幅に減少しているということだ。大雑把に言うと、昨年の半分くらいである。
 参考値として載っているデータ(過去の国公立大学合格者の平均値)と比べると、その低下ぶりがよく分かる。「私は国公立大学なんて目指していないし」などと言ってはいけない。学年に22人いる国公立大学希望者だって、「平均」と似たり寄ったりなのだ。
 勉強する上で先立つものは時間である。効率も方法も、時間が確保された上でしか意味をなさない。まして意欲は、どれだけの時間を費やすかにストレートに表れる。
 個人シートの「悩み 気持ち」欄に書かれたコメントを見ると、
「学習方法が分からず悩んでいるようです」とか、
「勉強が無意味に思えて、する気持ちにならないようです」といった記載が目に付く。
 機械的に書き込まれたコメントだが、諸君のアンケートを反映していて、一定の合理性はある。
 ふざけた話だ、と思う。
「学習方法が分からない」というのは、勉強する気のない人が、勉強しない自分を正当化するための言い訳の定番である。「勉強が無意味に思えて」という人には、「だったら、自分が生きる意味はちゃんと分かって生きているのか?それが分からないうちは生きないというのか?」と問いたい。
 勉強の方法も意味も、勉強する中でしか見えて来ない。勉強だけではない。何をするにしても、意味とか方法が分かってからする、というのでは何も始まらない。考える必要のあることは動きながら考える。「生きる」とは、全てにおいてそういうことなのだ。
 今年の指導目標に書いたとおり、諸君には高校生としての責任を果たしてもらわなければならない。なにしろ、諸君は自ら希望して今ここに居るのだし、多くの人々の支えによって、学ぶことが可能になっているのだから・・・。