ついに宮城がトップに!

 宮城県では、新型コロナウイルスへの感染者数が急増している。特にこの3日間は、連日100人前後となり、ついに、1週間(3月12~18日)の10万人当たり感染者数は、19.38人で、堂々の全国首位。2位東京が14.94人だから、正に圧勝と言ってよいだろう(本当は「完敗」なのかも?)。ちなみに、埼玉、千葉、沖縄こそ10人を超えているものの、大阪8.67人、神奈川7.72人あたりだと可愛いものである(笑)。
 全国一の汚染地区にいるという実感はあまりない。東京なんてすごく危険な所だと思っていたのだが、宮城がそうなってしまうと、「なんだ、この程度の緊張感なのか・・・」と思う。
 宮城でなぜ増えたのかは分からない。危険視されてしまうからと、マスクはもはや手放せないし、呑みに行くことも容易でない。歓談しながら昼食ということもなく、全校集会も開けない。卒業式があっても、祝賀会・慰労会はなし。もう少しで異動が発表されるが、離任式はライブ配信で、送別会もない。つまり、規制はかなりしっかりとかかっていて不自由、鬱陶しい。それでいて、感染が急拡大していると言われても、対策の取りようはない。
 昨年6月、河北新報が駄文を載せてくれた(→こちら)。そこに書いたとおり、物事には何でも正と負があり、時間が経てば経つほど「負」が大きくなる。私は、あくまでも直感に過ぎないが、もうそろそろ正と負の逆転ラインに到達するだろう、と思っている。つまり、今までは「やむを得ない」で済んでいたが、ここから先は、弊害の方が大きくなるのではないか?
 1年生の担任は、遂に生徒の素顔をほとんど見たことがないままに年を終える。人が集まれない、熱く語り合えないことは、人間関係の形成や世界認識に大きな害をもたらす。そもそも、石油を燃やすことによって手に入れた一時的な豊かさのおかげで、人と助け合わなくても生きていける状況が生じ、煩わしい人間関係をできるだけ避けたいという人が増えた。理由はよく分からないが、コロナ以前から、年から年中マスクを手放せない若者も増えていた。
 コロナはそのような風潮に大義名分を与えた。人と集まらず、会話も控えめ、飯も一緒に食わない、という人間関係は歓迎される素地があったのである。人間関係崩壊が起こりつつある。
 私は、本心で言えば、少々感染者が増えてもいいから、そろそろ規制をかなり大きく緩めた方がいいのではないか、と思っている。医療崩壊が起きた時に、治療からあぶれる人が出ても仕方がない、という立場だ。もちろん、そんなことに耳を貸す人などおらず、場合によっては袋叩きの対象となる。だがやっぱり、時間が経ってから表れる弊害は、直接の因果関係が証明できないからこそ軽視されがちだが、致死率1%あまりの肺炎よりも、よほどたちが悪いのである。