戦争を止めるのも「哲学」

 2月の半ばに、山梨平和ミュージアム館長の浅川保先生から、著書『地域に根ざし平和の風をⅡ』(山梨平和ミュージアム刊)を送っていただいた。ちょっと骨の折れる本に取り組んでいたこともあって、「つんどく」してあったのだが、最近、ようやく通勤の電車の中で読むことができた。
 山梨県の高校で長く社会科(主に日本史)の先生をされ、退職後は大学で講師を務めつつ、平和ミュージアムの運営等を通して地域の平和活動に取り組んでこられた方である。私は、組合の教研で先生のミュージアムを訪ねた時に初めてお目にかかり、そのお話の明晰さと独創的で息の長い取り組みとに感銘を受け、このブログに駄文を書いたことから(→こちら)、いろいろとご教示をいただくようになった。その一端は、このブログで公開している先生と私の「往復書簡」(→こちら)でも見ていただけるとよい。なお、この「往復書簡」は、山梨県歴史教育者協議会編『山梨の歴史教育第17号』(2019年7月)でも公開されていて、このブログの読者ではない方々にも目を通していただく機会が得られた。

 さて、『地域に根ざし平和の風をⅡ』は、先生のライフワークである石橋湛山研究に関する多少の評論を始め、山梨日日新聞「私も言いたい」欄に掲載された先生の意見文、「山梨近代史の会」の歴史などを収めている。圧巻は意見文である。2001年8月から2020年10月までの間になんと151回、その時その時の主に政治問題について、先生の深い教養を元に論評を続けている。確固たる信念に基づく批判と、何よりもそのエネルギーに驚く。先生は75歳である。
 ところで、以前の「往復書簡」における重要なテーマは、戦争史を学ぶことが、本当に戦争の抑止力になるのだろうか?というものであった。先生から一定の回答をいただいた後も、私の頭の中では尾を引いていて、では、仮に戦争史の学習が必ずしも戦争を抑止することにならないとすれば、何が有効なのだろうか?と思いを巡らせていた。今回の本を読みながらも、先生が地域の戦史の掘り起こしに熱心に取り組んで来られたことが分かるために、やはりそのことが頭から離れなかった。
 私の教員としてのライフワークは哲学を教えることである、とは、以前も書いたことがある(→こちら)。間違いなくその通りである。そして今思うことは、やはり、戦争を抑止するのも、戦争について学ぶことではなく「哲学」なのではないか、ということだ。
 哲学とは何かについても、かつて書いたことがある(→こちら)。それが本当に正しいのかどうかは分からない。いや、正しいかどうかはどうでもよい。私の定義する「哲学」とはそのようなものなのである。それは、「~は本当か?」と問い直すこと、「~は本来どうあるべきか?」と問い、現実態ではなく理想態を追い求めることの二つを重要な柱とする。哲学とは固定化された知識を拾い集めることではなく、問い直し、原点を探し求める精神運動である。
 戦史であれ何であれ、歴史は固定化された知識になってしまいがちだ。だから、それを学ぶことがなかなか現実とは結びつきにくい。あるいは、戦争と直結した、つまりは因果関係が極めて明瞭なものに対してしか反応できない。
 流動する社会に対しては、流動する精神だけが力を持つ。流動する精神とは、永遠に答えに到達できないが為に、動き続けることを余儀なくされる思考であり、それは「哲学」である。少なくとも私は、そのような頭の使い方そのものを何とかして生徒に伝えていきたい。何を学ぶかではなく、どのように学ぶかこそが、あらゆるものに対して力を持つはずだ。対象を戦争に限定しないそんな「頭の使い方」は、結果として戦争に対しても力を持つはずだ。
 私は高校教員であるが、一応現役の中国史研究者でもある。お前にとっての歴史研究とは何なのか?と尋ねられれば、どう答えるか?私は、世の中をよくしようと思って、もしくは自分自身がよりよく生きられるように歴史研究をしているとは思っていない。それは単なる遊びである。謎が解けていくのが面白いというだけだ。一方、完全にそれだけか?と言われれば、どうもそうではない。歴史を面白いと思って学ぶことで、社会や人間について考えてみたいという気持ちも生まれてくる。つまりは、歴史を学ぶことは、「哲学」することのきっかけになり得るのだ。
 浅川先生の著書についての話から、すっかり違う話になってしまった。ただ、いろいろなことを考えさせられたからこそ生まれてきた逸脱でもあるわけで、そこを理解してご容赦いただくしかない。あぁ、自分もあと15年、先生ほどのバイタリティーを持って生きることができるだろうか?