ジミー・カーター

 年が変わるのを前に、ジミー・カーター氏の訃報が伝えられた。100歳。アメリカの大統領経験者の中で最高齢だったらしい。テレビのニュースで訃報に接した昨日よりも、数ヶ月から1年ほど前、何かの機会に氏がまだ存命であることを知った時の方が驚きは大きかった。
 年齢が年齢だったので、新聞各紙には用意されていたと思しき評伝や、長大な訃報記事が見られた。氏の人生については、ある程度知っていたつもりだったが、改めて優れた人だと思った。トランプ氏が大統領に返り咲く今のアメリカを見ていると、カーター氏が大統領になることが出来たこと自体が、人々がまだ良心や良識というものを持っていた古き良きアメリカを表しているようで、そのことに対する感動と、それらが失われてしまったことに対する絶望的な悲しさや不安が同時に沸き起こってくる。
 私の書架には日高義樹監修『カーター回顧録』全2巻(日本放送出版協会、1982年)がある。何かの本に引用か紹介かされていて、ぜひ読んでみたいと思って買ったことは憶えているのだが、きっかけになった本が何かはどうしても思い出せない。
 訳しているのは4人。共同作業がとてもよく出来ていて、章によって訳者が違うことは感じられないし、とても平易な読みやすい日本語に訳されている。しかし、この本が面白いのは、言うまでもなく訳の力だけではない。非常に冷静で理知的で誠実な著者の力があってこそである。
 とは言え、私は、不勉強故に、カーター氏以外の大統領による回顧録を読んだことがない。各大統領についてその有無も知らない。それでも、なにしろアメリカ大統領という権力の中枢である。ありとあらゆる国際情勢に関与し、対応する話は面白くないわけがない。ただ、私が特に感銘を受けたのが、2期目を目指した大統領選挙でドナルド・レーガンに敗れた後、任期を終えるまでの2ヶ月半に関する部分だというのは、やはりカーター氏ならではだという気がする。当たり前だが(←当たり前なんですよ)、「選挙が盗まれた」などと大騒ぎすることもなく、「われわれは全員がベストを尽くしたのだから、誰に対しても悪い感情や恨みは抱いていなかった」と敗北の失意に沈むことなく、与えられた全ての時間で最善を尽くした。懸案の解決にも、引き継ぎにもである。
 残念ながら『回顧録』は大統領の任期を終えたところで終わっている。しかし、氏の真骨頂がさらにその後にあったことは誰しもの認めることであろう。共同通信による「評伝」は次のように書く。

「元大統領の地位を利用して金もうけしたくはない」と語っていた。他の大統領経験者のように企業役員になったり、高額の講演料を受け取ったりはしなかった。ピーナツ畑が続くジョージア州の農村地帯でつつましく暮らし、「歴代で最も納税者に負担をかけない元大統領」とも呼ばれた。

 金もうけのために「元大統領」を利用しなかった氏が、世界平和の実現に対しては積極的に「元大統領」を利用した。アメリカと北朝鮮キューバとの関係改善、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の解決への尽力などなど、である。大統領退任から20年以上を経た2002年にノーベル平和賞を受けたことは、同じく政治家であった佐藤栄作オバマの受けた同賞とは別次元の価値を持つ。
 100歳である。この期に及んで、「惜しい人を亡くした」とは思わない。その生前の活動についてただただ大きな敬意を捧げつつ、改めて回顧録を読み直そうと思っている。合掌。