若い時間の共有

 1月3日は、仙台に泊まりで酒を飲みに行っていた。恒例、仙台一高山の会である。集まったのはわずかに13名。かつて海外の未踏峰にも遠征隊が出せた一高山岳部のOB会も、ご多分に漏れず、高齢化と弱小化が激しい。コロナでそれが一気に加速した感じだ。それでも、今まで山で多くの時間を共有してきた人たちとの会話は楽しかった。
 私は仙台一高のOBではなく、元顧問なので、特別会員である。一高のOBには名士が多いのだが、彼らはまったく偉そうにしないし、実に自然に私を受け入れてくれている。私も、外来の顧問としては、おそらく退任後にOBとも現役とも最も多く一緒に山に行き、山以外の場所でも親密に付き合ってきた人間である。だからこそ、ほとんど毎年、新年会にも顔を出すわけだ。
 しかし、彼らの輪の中にいると、やはり自分は少し違うのだな、と感じることがたびたびある。仲間でありながら、ほんの少しだけ仲間でない、という感じだ。なぜこんなことになるかということを考えてみると、やはり高校時代の時間を共有しているかどうかの違いなのだ、ということに行き着く。時間を共有していればどんなタイミングでもいいわけではないのだ。
 もちろん、集まった人の年齢はバラバラだ。中には、90歳近い人もいれば、40歳代の人もいる。それでも、高校時代を同じ場所で過ごしたことによって、時間を共有した感覚を持つらしい。
 そう言えば、元日の分厚い新聞の束の中で、妙に私に新鮮な驚きを与えた記事がある。それは河北新報の「第3朝刊 スポーツ」第4面に載っていた広島・広陵高校野球部監督中井哲之氏と明治大学野球部監督田中武宏氏の対談だ。大きさは3分の2面に及ぶ。なぜこの2人が対談しているかと言えば、2人が今年の楽天ドラ1宗山塁選手を指導してきたという共通点を持つからである。
 両氏の写真の下に、それぞれの経歴が記されている。私がハッとしたのは、田中氏の方だ。そこには、「兵庫・舞子高校から明大に進み、(以下略)」と書かれている。年齢を見れば、私より1歳上だ。
 私が高校2年の時、我が母校・龍野高校の野球部が、夏の甲子園予選で5回戦(4試合目?)まで勝ち上がるという校史に残る快進撃をした。私は生徒会副会長(=臨時応援団副団長)として全ての試合に応援に行った。その時、5回戦で対戦して負けた相手が舞子高校だった。私が記事を見て抱いたのは、「あぁ、この人はあの時3年生で、グランドにいたのだ」という感慨である。当然のこと、私は当時「田中」という選手を意識していないし、一言の挨拶さえしていない。わずか2時間ほど、同じ球場にいたというだけなのである。しかも、相手はグランドで、私はスタンドだ。それでも、なぜかこみ上げてくるこの親近感のようなものは一体何なんだろう?
 若い時の時間の共有というのは、理屈抜きでそういうものなのかも知れない。あるいは、彼も私も、それぞれの立場でその時を必死で頑張っていた、そのことから来る同志的な心情かも知れない。ともかく、昨日に続き、今日もなんだかひどく切ない。