次はニペソツ

 26日は、午前中1人で博物館・網走監獄を訪ねると、午後からNさんの車で十勝に向かった。3時間半かけて登山基地となっている糠平温泉に着く。東大雪自然館という国か道の展示施設で天気の確認をすると、これが実に思わしくない。27日は雨だという。かと言って延期をするほどの時間的余裕もない。いや、天気予報によれば、少なくとも7月いっぱい、悪天候が続くらしい。この時はほとんど雲もなく、翌日から雨が続くというのが信じられなかった。
 ところで、私は20年近くにわたって高校生登山の指導をしてきた。そんな私にとって、登山届けを出すこと、地図とコンパスを持つことは「イロハ」中の「イロハ」であり、たとえ個人山行と言えども怠ったことはなかった。しかし、今回は杜撰だった。なにしろ、北海道に行くと決めたのが遅かった。最初はニペソツではなく羅臼岳のつもりだった。加えて、仙台駅前のジュンク堂書店という地形図をかなり豊富に揃えていた大規模書店が、6月に突然店を閉めた。7月1日から求人票公開の始まった高校3年生は忙しかった。というわけで、私は今回、ついに地形図さえ手に入れられないまま船に乗ってしまったのである。登山届けを作る余裕もなかった。斜里岳もニペソツ山も一本道。しかも何度か登ったことのあるNさんは、そんなことをなぜ気にするのか、といった風だった。
 一応ガイドブックには目を通したが、我が家にある『北海道の山』は1995年版だった。そこには、ニペソツに関し、音更川十六の沢というところから登るコースだけが紹介されている。山頂往復の歩行時間(休憩時間等含まない)が8時間10分となっている。実際には10時間くらいかかるだろう。1000mの標高差も考えると、かなりの長丁場だ。
 ところが、Nさんに会って、数年前からその登山道が使えないことを知った。登山口に至る林道が、豪雨のために通行不能となり、登山道も閉鎖されているというのだ。今の登山道は幌加温泉からの道だと言う。幌加温泉からの道は、私のガイドブックにも言及がある。「登山道はここに紹介するもののほか、幌加温泉からつけられているが、単調で長いため利用する人は少ない」というのがその記述だ。十六ノ沢からでも長めのコースなのに、更に長いとなれば大変だ。26日、三国峠に行く途中に登山口に立ち寄り、登山届け用のノートを見てみると、毎日何人かの登山者がいるが、12時間くらいかかっている人も珍しくない。
 さて、車で三国峠に行き、快晴の下のニペソツを拝むと、再び糠平温泉に戻り、自然館の軒下で寝る。標高は550m。蚊もおらず、暑くもなく、北海道滞在中で最も快適な夜だったような気がする。夜中、天気が気になって何度か目を覚ましたが、そのたび、満月に近い月が木星と共にくっきりと見えていた。雲は見えず、月に暈もかかっていない。27日3時過ぎに起き、朝食を簡単に済ませて、20㎞ほど離れた登山口へと車で移動する。快晴。4:25登行開始。
 森の中にも強烈な朝日が射し込んできて暑い。2時間ほど歩いたところで、休憩の時に、1人で旭川から来たという60代半ばくらいの登山者と一緒になった。身なりを見ても、歩き方から見ても、相当熟練の登山者である。
私「いい天気ですねぇ。本当に雨になるんでしょうか?」
翁「いやぁ、今日はこのままいくんじゃないですかぁ?」
 ところが、恐るべきは山の天気である。それからわずか15分で一気に曇り空となり、20分あまりで弱い霧雨が降り始めた。前天狗の稜線に出ても、ニペソツは雲の中である。結局その後、視界が開けることはなかった。
 風が吹き、霧雨が弱まったり強まったりを繰り返すが、レインウェアや長袖シャツを出すほどではなく、なんとなく足を前に出しているうちに、頂上(2013m)に着いた。前日の天気予報では、入山そのものをあきらめなければならないかと心配していたので、頂上を踏めたことは嬉しかったが、何も見えない頂上というのはやはりつまらないものである。少なくとも、「かの有名なニペソツだ!」という実感も喜びもない。
 パンをかじりながら10分だけ休み、すぐに下山にかかる。前天狗の稜線からシャクナゲ尾根に入ったあたりから急に強い疲労を感じるようになり、登山口に着いた時にはバテバテだった。天候の悪化に追われるように、休憩を取ることもほとんどなく、歩き続けて9時間15分だった。
 この日は、経営者がNさんの旧知だという糠平温泉中村屋という快適な旅館で大いにくつろいだ。地元の食材ばかりを使ったお料理は秀逸。マグロやイカの刺身が出て来ない宿は信用できる。