Nさんとは、1999年8月10日に、北海道最高峰・旭岳(2290m)裏のキャンプサイトで隣同士にテントを張ったというだけの関係である。小学校5~6年生の男の子を1人連れていた。息子さんと親子登山かと思っていたら、Nさんは小学校の先生で、連れていたのは生徒だと言うからびっくりしてしまった(Nさんも、今ならそんなことは絶対に出来ない、と言っている)。おそらく、その人柄にかなりの好印象を持ったのだろう。翌朝、Nさんが旭岳に行っている間に、私は南に向かって出発したのだが、その際、Nさんのテントに住所を書いた紙を置いておいた。すると帰宅後、Nさんから手紙が届いた。その後22年の間に、Nさんは2回宮城県に来た。1度目は南蔵王に行き、2度目は栗駒山に行った。山で知り合った関係なので、山行を共にするのが一番いいのである。
というわけで、今回も元々の目的は山だけであった。私が登りたかったのは第一に斜里岳(1547m)、そしてせっかく道東に行くのだから、知床半島=羅臼岳(1860m)と硫黄山(1563m)の縦走も加えようと思った。できればこれらの山行をNさんと共にし、残った時間は札幌郊外の山なり、どこかの観光地を1人で訪ねるつもりだった。
こんなことをNさんに言ったところ、自分も時間が取れるので、私が北海道にいる間ずっと付き合えるという返事が返ってきた。ただし、知床の山は熊が危ないので、ニペソツ山(2013m)にしないか?と言う。これは私にとって嬉しく、また驚くべき話だった。ニペソツは知る人ぞ知る名山。深田久弥の『日本百名山』にこそ入っていないものの、それは、深田がニペソツに登ったのが、『日本百名山』を書いた後だったからというだけの話。北海道の山ベスト5に入ってもおかしくない堂々たる山容と、とても2000mそこそこの山とは思えない高度感とによって、「隠れ百名山」と評価されている山なのである(深田クラブによる「日本二百名山」指定)。しかし、なにしろ東大雪山系の山で、地方名でいえば十勝。網走からは200㎞以上離れている。私のような自家用車否定派=公共交通機関主義者には、近づくことも容易ではない。それがNさんが誘ってくれることで、突如現実的な話になったのである。車で行く以上、それが人の車だったとしても二酸化炭素は出すのであるが、なんとなく罪の意識は軽減される。
さて、順番に斜里岳。25年くらい前の話。当時釧路に住んでいた大学時代の友人を訪ねたところ、車であちこち寄り道しながら斜里町まで案内してくれた。その時初めて斜里岳を見た私は、何と美しい山だろうかと感動した。緩やかな裾野を左右対称に広く伸ばし、頂上はとがっていてつんと天を衝いている。実に美しい円錐形である。利尻岳にとてもよく似ている。美しい山に登るということは、その美を自分のものにしたような気分になれるものである。それ以来私は、いつか斜里岳の頂上に立ってみたいと思い続けてきた。
24日、網走から斜里に移動し、Nさんの友達である単身赴任をしている小学校の校長先生宅に泊めてもらう。ジンギスカンにビールは美味しかった。ジンギスカンは、何よりも北海道に来たことを実感させてくれる。校長先生も、斜里岳登山の仲間だ。
登山道は標高660mの清岳荘から始まる。旧道と新道の二本の道があり、通常は旧道を上り、新道を下る。私もそれに従うことにした。旧道は沢登り。清涼感はあるが、鉄分をたくさん含んだ飲めない水の流れる赤い沢を上る。後から後から小さな滝が連続するが危険はない。標高差約900mをクリアーすると頂上。遠くから見るととがった頂上の割に広い。360度の大展望だが、いかんせん、湿度が高くて遠景がぼやけ、見えるのは山麓の畑地帯だけだ。日射しが強くて暑い。復路の新道は、旧道の上二股から分岐し、少し登り返した後、熊見峠(1230m=峠という名前のピーク)に続く気持ちのよい稜線歩きを経て、一気に急斜面を下二股まで下る。頂上での30分以上の休憩を含めて、往復で7時間の変化に富む楽しい山歩きだった。