西村尚也リサイタル(3)

 昨日、2月に転倒して左手が動かなくなったことをきっかけとして施設に入っていた母を退所させ、自宅に戻した。残り幾ばくもない人生、コロナに感染すると困るからという事情だけで、家族にも友人にも会えない状態で隔離しておくのはあまりにもひどい、今ならしばらく自分が面倒見られるからと妹が言い出して、退所の運びとなった。
 今日は、そんな家庭内の、いや、社会的問題がテーマではない。おかげで私は、昨日と今日と2日連続で、1日140㎞も車を運転し、その間、ずっと西村尚也氏の新作CD「RETRO」を聴くことができた、こちらが言いたいことの中心である。
 いただいたCDだからというのではなく、本心として魅力的な演奏だと思い、聴いていて飽きることがなかった。ライブと録音では違って当然、それぞれにそれぞれの良さがあるのだが、演奏の完成度としてはどうしても録音の方が高い。ピアニストによる違いも多少はあるかも知れない。昨日も書いたとおり、解説書の文章は、プロフィールを除いて西村氏本人が書いている。この文章もなかなかよく書けている。彼は、このCD製作の事情について次のように書く。

「コロナ禍でリハーサルも演奏会もなくなったとき、僕は野原でボールを蹴ったり、家で小品を弾いて遊んだりしていた。そして、いつかこういった肩肘を張らない音楽を録音して発表してみたいと思うようになった。」

そして、これに先立ち、次のように書いている。

「例えばベートーヴェンブラームスをはじめとする作曲の大家達の大きな作品を聴くとき、その作品、いやさらに言えば作曲家その人に対峙しているような感覚でいる人が多いと思う。僕自身もそうである。それに対して、小品を集めたアルバムでは、その演奏家や歌手の魅力を聴きたいと思ってディスクを手に取る。」

 私は、初めてこの部分を読んだ時、鋭い感覚だと感心したのだが、よくよく考えてみると当たり前だ。なぜなら、小品集の場合、「選曲」に選曲者(=たいていは演奏者)の個性が表れるからだ。では、選曲に表れた西村尚也の個性とは何か。
 彼は、10代の頃にたくさんの幸福感と素晴らしい夢を与えてくれたアルバムを録音した巨匠達(クライスラーハイフェッツフランチェスカッティなど)が、全て100年以上前に生まれた人達であったとした上で、「クラシック音楽の同業者たちと比べても、僕は人一倍ふるいものが好きなようだ」と書く。そして、「この小品集に入れてみたい曲を集めてみたら、僕に『古き良き時代』を連想させるものばかりになった」とも・・・。日頃から学校で、絶えず「いいものしか古くなれない」と言いながら古典の授業をしている私としては、共感を覚えるところである。
 演奏会で演奏された「アルフォンシーナと海」のえも言われぬ哀感、ヴィエニャフスキ「創作主題による変奏曲」の超絶技巧と、スラブ的な土俗臭とでも言うべきものは魅力的だが、演奏会では演奏されず、このCDには収められているパガニーニヴェネツィアカーニヴァル」という約10分の変奏曲が、私の最高のお気に入りだ。
 「ヴェネツィアカーニヴァル」とは、「僕の住むドイツでは子供でも皆知っているメロディーで言葉遊びに使われるため、わらべ歌の感覚だ」とした上で、次のように書く。

「元祖『悪魔のヴァイオリニスト』パガニーニ(1782~1840)は、この他愛ないメロディーを基に爽快で天才的な変奏曲を書いた。何という才能だろう!かくも自在にヴァイオリン1丁を歌わせ、唸らせ、早口で喋らせ、笑わせ、踊らせることができたのは、後にも先にもパガニーニしかいないであろう。」

 確かに、原曲が素朴で親しみやすく、常にそのメロディーが意識できる明快な変奏曲で(世の中には、変奏が始まった瞬間に、基の旋律が分からなくなる変奏曲がたくさんある)、しかも変化に富んでいる。そのことは間違いなくパガニーニの功績だ。しかし、私は曲についての上の西村氏の言葉を、そっくりそのまま氏の演奏を形容するものとして使いたいと思う。彼がこの曲を弾くのを聴いていると、道化師が仕草を変え、表情を変え、時には奇声を発しながらパントマイムを演じているのを見ているような気分になる。それはパガニーニに匹敵する技術あればこその能弁だ。優れたバイオリニストによって適切に演奏されなければ、パガニーニの名曲も、名曲として立ち現れては来ないのである。
 終演後、お父さんとほんの少しだけ立ち話をし、その際に話題にしたのだが、次に帰国した時には、「西村尚也バイオリン・リサイタル in 石巻」を何とか実現したいものだ。このCDを使って布教活動でも始めようか・・・東京から戻って2日経って、ますます強くそんなことを考えているところ。(終)

 

(補足)

演奏会で「何と言う曲か分からない」と言いつつ演奏されたアンコールの2曲目は、このCD冒頭に収録されたガルデル「ポル・ウナ・カベサ」ではないのかな?(ほら、やっぱり20世紀初頭のアルゼンチンタンゴではないですか。)私の記憶違いだろうか?記憶違いでないとすれば、なぜ演奏会でそのような紹介の仕方をしたのか・・・謎である。