もはや先々月の話になるが、バイオリニスト西村尚也の演奏を聴きに東京まで行った話は書いた(→こちら)。彼がN響のゲスト・コンマスに招かれた時の録画が放送されるという話も・・・(→こちら)。
10月の半ばに、それらを記念して(笑)CDを一枚買った。2018年6月22日に名古屋の宗次ホールで行われたリサイタルのライブ録音である。ピアノはアンドレア・バッケッティ、曲目はコレッリ「ラ・フォリア」、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第4番「春」、ラヴェルのヴァイオリンソナタ、サン=サーンス「序奏とロンド・カプリチオーソ」、そしてアンコールと思しき小品が3曲。
実は、同じプログラムによる演奏会が6月16日に東海中学・高校の講堂で行われ、その様子はNHKが録画してBSプレミアムの「クラシック倶楽部」という番組で放映された。その録画は、もらったのを持っていて、何度となく見たのだが、なにしろ、番組の時間の制約から割愛されてしまった部分がある。中でも、録画を見ていて最も心引かれるラヴェルのソナタで、第1楽章だけがカットされているのは残念だ。というわけで、いよいよCDを、ということになったのである。
録画とCDでは、録音の状態が少し違う。私は録画の方が好きだ。特に、肝心のラヴェルは、CDの方がかなり音が細いような気がする。それでも、変なカットがないのはいい。
しかし、今日の主題はそんなことではない。ベートーヴェンの「春」である。
もちろん、あまりにも有名な曲なので、ずいぶん昔からいろいろな人の演奏で聴いてきた。最初から最後まで鼻歌が歌えるくらいには知っているつもりである。西村尚也の演奏は本当に素晴らしいが、彼の演奏でなくても、やっぱり「春」は素晴らしい。ベートーヴェンの力である。なんという明るく伸びやかな音楽だろう。
作品リストを見てみれば、1801年、ベートーヴェン31歳の作品で、同じ年にはピアノソナタ「月光」「田園」が、そして前年には交響曲第1番が作曲されている。ああ、ベートーヴェンの夢と希望に満ちた時期だったのだな、と思う。ベートーヴェンは、幼少期も粗暴な父親に苦しんだし、「春」の直後、耳の変調が始まり、失恋も続く悩み多き人生を送ったことを思うと、その束の間の明るさがなんとも切ない。
嬰ハ短調の「月光」は少し違うようにも思うが、それとて激しさこそあれ、決して暗い音楽ではない。いや、更に言えば、ベートーヴェンの音楽に、本質的な影や暗さはなく、いくら苦しい時期に書いた音楽であったとしても、必ず人生への肯定と希望がある。だからこそ、その死後約200年を経て、世界の人々に愛され続けるわけだ。
それでも、私は交響曲第1番や「春」に、まだ人生の本当の厳しさを知らない、若き日のベートーヴェンを感じ、愛おしくなってくるのである。ベートーヴェンと言えば無骨で構造的な音楽を多く書いていたような印象があるけれども、「春」のような優美な音楽もまたその世界の一部を作っている。何度繰り返して聴いても、その明るい美しさは色あせない。