「音の旅」最終回

 今日は台風のため休校。電車も動いていないし、休校になってもやるぞと予告されていた職員会議延期の連絡も入ったので、無理に学校へ行くのを止めて自宅にいる。進路が東にずれてくれたおかげで、雨も風もたいしたことはなかったが、我が家の居間から見える太平洋の大波はいつもの台風以上。午前中、波が大きなしぶきを上げながら砕ける様を、なんだか気持ちのいい光景だなぁ、と思いながら飽かずじっと眺めていた。

 さて、昨日は、雨の中、小山実稚恵のピアノリサイタルに行った(仙台市青年文化センター)。ただのリサイタルではない。「音の旅」と題し、2006年から春秋2回、12年間にわたって続けてきた24回シリーズの最終回である。これは心身共に途方もないエネルギ−を必要とする大プロジェクトである。
 小山実稚恵というピアニストはファンというほどではないが、過去に何度か演奏会に行って印象悪からぬ人だし(→参考記事)、1回目の時点で全て発表してあったプログラムも見ながら、何度か足を運ぼうと思いつつ、なかなか時間が取れなかったり、行こうと思った時にはチケットもしくはいい席が手に入らなかったりで、ついに最終回だけを聴きに行くことになってしまった。最終回ともなれば、演奏者も聴衆も大きな思い入れを持って臨み、正真正銘、特別な演奏会になるに違いないという期待も大きい。
 なぜか、当日券を売っており、会場にも空席があった。私が座っていた席の後ろは見ていないが、前の方だけを見た感じでは9割の入り、といったところか。雨のせいでもあるまいに・・・。
 この連続演奏会には、1回1回にテーマがある。今回は「永遠の時を刻む」。曲目は、バッハ「平均律クラヴィーア曲集」第1集から第1番ハ長調前奏曲とフーガ、シューマン「3つの幻想的小品」Op111、ブラームス「3つの間奏曲」Op117、ショパンノクターン」第18番ホ長調Op62−2、「子守歌」変ニ長調Op57、「マズルカ」第49番ヘ短調Op68−4、ベートーヴェンピアノソナタ」第32番ハ短調Op111。バッハ以外は、それぞれの作曲家の最晩年の作品ばかりだ。
 このシリーズを構想し始めた14年前、最後をベートーヴェンの32番(ベートーヴェンの最後のピアノソナタ)で終えることは最初から決めていたそうである。バッハからショパンまで、最終回という特別感をあまり感じることなく聴いていたが、ベートーヴェンになって一変した。特に第2楽章は鬼気迫る熱演。名演奏かどうかは分からないけれど、とにかく演奏者の並々ならぬ思い入れと興奮とがよく伝わってきた。これは私も大好きな曲だ。さほど複雑でもない、むしろ非常に単調に見える箇所も多い楽譜から、どうしてこのような豊かな音楽が生まれてくるのだろう?
 32番のソナタには楽章が二つしかない。しかし、第2楽章は、一つの楽章の中で何度か曲想が大きく変化する。演奏は、曲の激しい部分でより激しく、天上的な瞑想の部分では内省的に深く、ベートーヴェンが晩年に達した、正に「境地」という言葉以外では表現できないような世界をよく感じさせてくれた。作曲者と演奏者を切り離して考えることなど出来ないのは、私にも分かっているつもりだが、演奏を聴きながら私が意識し感じていたのは、常にベートーヴェンだったと思う。これはおそらく演奏者にとって名誉なことであるはずだ。
 会場でもらったパンフレットは、プロフィール以外、すべて小山さん自身によって書かれている。これがなかなか優しく、表現力豊かなすばらしい日本語だ。前書きで、ベートーヴェンのこの曲について、彼女は次のように書く。

「私はこのソナタを演奏する度に、天から差し込んでくるやわらかな一筋の光を感じます。その光が体内に入って命が脈を打ち始める。人類にとって音楽は永遠の存在であること、そして大きなサイクルで循環し続けるということを実感します。音楽の感動だけではない生の感動のようなものを与えてもらえる作品。この世に生を受けたことの幸せを感じる瞬間を意識させてもらえる作品です。」

 本当は、表現がとても美しい曲目解説をそのまま全て紹介したいのだが、著作権の問題も発生するのでやめる。あまりにも偉大なベートーヴェン
 小山さんは仙台市の出身である。そんな縁で、この連続演奏会が仙台で実現した、と私は勝手に思っていた。ところが、仙台以外にも、福岡、大阪、名古屋、東京、札幌で開かれていたことを知った。昨日の演奏会は、第24回の2回目である。あと4回ある。となると、演奏者にとっていよいよ最後だ、という感慨は薄いかも知れない。本当の最終回は11月25日、東京。その時にはまた特別な感慨があって、昨日以上の演奏会になるのだろう。少し、ほんの少しだけ残念だ。やはり、本当の「最後」を聴きたかったな。