船岡城址公園

 昨日は、宮城県高等学校国語研究秋季大会というものがあって、宮城県の南の方、大河原(おおがわら)町にある大河原商業高校という所に行っていた。学校を一日空けようと思うと、仕事のやりくりが面倒なので、出張にはできるだけ行かないようにしているのだが、古典分科会という所で「発表」なぞをすることになってしまったので、仕方なく行ったのである。
 古典分科会で発表などと言っても、もちろん手を挙げたわけでもないし、私の学識と声望を仰いで(笑)依頼されたというものでもない。発表は支部ごとのローテーションで、なおかつ支部の中でも学校ごとのローテーションが決まっている。それで、たまたま現任校が古典の発表順に当たっていた、というだけのことである。
 なにしろ、現在私が在籍しているのは工業高校で、国語の授業は全学年2単位(週に2時間)しかない。国語の専任教員はたったの2名。私以外の1人は、まだ若い、30歳になるかならないかの女性教諭である。本来であれば、「学びのチャンスとして、あなた発表しなさいよ」と彼女に言うところなのだが、単に授業が少ないだけでなく、古典を扱えるのは、2年生の国語総合の授業だけである。それも、「総合」と名の付くとおり、現代文と古典(古文・漢文)の全てを扱う。自ずから、古典に割ける時間はわずかである。授業で何かしらの新しい試みをしてまとめるというのはなかなか難しい。ご隠居さんの私と違って、彼女は運動部顧問もクラス担任もある。ならば、たった20分くらい、私が何か適当なことを話してごまかしてきてあげよう、と引き受けたのである。
 県から来た文書には、発表者は助言者、司会者との打ち合わせをするので、9:40に集合せよ、と書いてある。電車の時刻を調べてみれば、石巻発6:35の電車に乗れば、8:21に大河原駅に着き、その次の8:11発に乗れば、9:59着で間に合わない。駅から会場までは歩いて約10分である。6:35の電車で行くしかないのだが、すると1時間も早く着くことになる。さて、どうしたものか・・・。
 結局、最近歩くことに凝っている私は、8:18に大河原の一つ手前の船岡駅で電車を降り、1時間20分歩いて会場入りすることにした。
 船岡駅前には、昔、原田甲斐(1619~1671年)の居城のあった標高136mの舘山という山がある。原田甲斐とは、伊達藩の重臣(奉行)であったが、伊達騒動(寛文事件)で逆臣とされ、お家断絶となった人物である。1958年、山本周五郎がその小説『樅の木は残った』で主人公とし、伊達家を守るために自ら汚名を背負った忠臣として描いたおかげで、原田甲斐は名誉回復を果たした格好となった(真相は未詳)。しかも、1970年にNHK大河ドラマで原作として採用されたものだから、原田甲斐も船岡城址も全国に名を馳せることになった。小学校時代以来、3~4度は行ったことがあると思うが、大学1年か2年の時を最後に、40年ほど行ったことがない。まずは久しぶりに船岡城址に行ってみよう、地図には書かれていないが、頂上まで行けば、大河原町側に下りる道の1本や2本はあるだろうから、いい散歩になるはずだ・・・私はそんなことを考えて、まずは山の北端にある「樅の木」に登ることにして歩き始めた。
 微かなる記憶によれば、「樅の木」は、正に1本の平凡な樅の木が立っているだけの場所だったが、昨日行ってみるとその北側に「樅の木は残った展望台」という立派な展望台が作られていた。この展望台は値打ちがある。正真正銘の絶景だ。足下に白石川が流れ、堤防には「一目千本桜」、そしてその向こうには雄大蔵王連峰。桜が咲き、蔵王連峰がまだ冬の装いで、なおかつ青空広がる快晴の日になど見たら、これ以上の美しい風景はない、と感動するに違いない。里山の展望スペースで、これに匹敵する所と言えば、神戸の摩耶山、掬星台(きくせいだい)くらいしか思い浮かばない。(つづく)