ブクステフーデの『最後の審判』



 台風、地震と散々な週末であった。もっとも、私は、土日、部活で山へ行く予定だったが、目的地が少々危うい場所であったこともあって中止となり、おかげで日曜日が人並みの休日となって、尚絅女学院の礼拝堂に音楽を聴きに行くことが出来た。

部活のためにあきらめてはいたものの、もともと行きたかった演奏会である。理由は二つ。ひとつは、日本を代表する演奏家が何人も出演する上、私の旧友もまた何人かステージに立つから。そしてもうひとつは、ディートリッヒ・ブクステフーデ(1637〜1707)のオラトリオ『最後の審判』のなんと日本初演だというから。一体、300年も前に死んだ人の、しかも、1曲でひとつの演奏会が成立するほどの大曲が、なぜ今頃まで演奏されずに眠っていたのだろうか?会場へ行けば詳細が分かるだろう、と猛烈な好奇心の塊となって行ったのである。

 聞けば、この曲は20世紀の前半、スウェーデンのウプサラ大学図書館で、他の多くのブクステフーデの楽譜とともに発見された。しかし、困ったことにこの曲の楽譜だけは署名が入っていなかった。しかも、発見者であるマクストンという人が、これをブクステフーデの曲であると勝手に決めた上、相当にいい加減で自分勝手な編集・削除の手を加えて出版してしまった。20世紀後半、何においても正確なテキスト(オリジナル)を求める傾向が強まる中で、果たしてこれが本当にブクステフーデの曲であるかどうか確かめ、マクストンの作業を排除して、オリジナルな姿へと復元する作業が始まった。そして、ブクステフーデ没後300年の今年4月、ブクステフーデの真作として「原典版」が出版された。昨日の演奏会は、その日本初演というわけだ。

 もっとも、原曲は演奏時間が3時間近いので、それでは、演奏するのも聴くのも大変だと、繰り返しの部分等あちこち省略して、2時間弱の曲として、昨日は演奏された。こうなると今度は、近い将来ノーカット演奏が行われた時に、2007年7月16日の仙台での演奏は本当に「日本初演」と言えるのか、という議論が起こり、では「初演」とは何かという話になるに違いない。

 この一連のごたごたした話は、歴史とか学問というものの性質を考えさせてくれて面白い。最終的に見えてくるのは、それを作る「人間」の姿だ。