川瀬牧場の意味



 「一日のうちに四季がある」とは、チベットの気象を表す言葉である。多少大仰だが、昨日はそんな一日だった。朝から雨降りで、海には台風の時のような大波が打ち寄せていた。午後は急に晴れ間が広がり、海の波も落ち着き始め、庭の木々や名残のチューリップも陽射しの中で光り輝くようになった。すると一転、また雲が出て雨となり、再び晴れて今度は素晴らしい虹!自然の変化の激しさとそれに伴う美しさを、自宅にいながらにして堪能した一日であった。

(4月21日朝日新聞「川瀬氾二氏の訃報」引用)

 こんな記事を見つけた。最初は、あまり何とも思わなかったのだが、何となく知っている名前のような気がするなぁ、とぼんやり考えていたら、徐々に記憶がはっきりしてきて、「川瀬牧場」の主だと思い至った。馬一頭と共に広大な農牧地を開拓したところ、周りが自衛隊の演習場となり、立ち退きを求められたが断固として拒否して住み続け、その家は、反自衛隊反戦のシンボルとなって、全国から支持者が集まる場所になっていた。

 私は、別にそのような支持者の一人だったというわけではない。たまたま、比較的親しい友人がその近くの大学で教員をしていた都合で、友人の車で道東を案内してもらった時に、牧場の近くを通りかかり、その存在について教えてもらったことがある、という程度である。しかし、私は、思想の左右に関係なく、信念を貫き、あえて損な生き方をする人というのが大好きなので、少しは印象に残っていたというわけだ。

 意識して探したが、朝日新聞以外には特集記事はおろか、訃報すら見出せなかった。もはや、反戦、まして反自衛隊など古いということなのだろうか。しかし、「時の流れだ」という言葉ほど、本質を曖昧にし、はぐらかす危険な言葉はない。この機会に、改めて、ほんの少しだけでも、氏の人生の意味を考えてみたいと思う。