コカリナまたは黒坂黒太郎の音楽



 先週のドビュッシーとは、ずいぶんと世界が違うのだが、今日は、家族で黒坂黒太郎のコンサートというのに行った。

 私が黒坂黒太郎のコンサートに行くのは、彼が黒坂正文という名前で活動していた時から含め、この20年あまりで多分5回目だと思う(名前は昔の方がよかった。今の名前はいかにも作られた名前という感じで好きになれない)。もともとはフォーク歌手だったのだが、15年ほど前に「コカリナ」という、木でできたオカリナのような楽器(笛)をハンガリーから持ち込み、今や、歌が半分、コカリナの演奏が半分、それにオマケとして(?)コカリナの普及活動に取り組むという状態になっている。奥さんである矢口周美さん(今日も同行)が歌手であり、黒坂がコカリナを吹いて矢口さんが歌うというパターンも多い。この人たちのコンサートははずれがない。私は好きだ。

 黒坂の名前を知らない人も多いと思うが、この人のコカリナは結構あちこちのCMやBGMで使われているらしいし、かつてはどこかの県の小学生用指定夏休み教材に、この人の歌が載っていた話も聞いたことがある。国際会議のアトラクションでの演奏や、海外からの招待も多いらしい。今年の1月4日には、ウィーンの楽友協会大ホールで大規模なコンサートが開かれたという話も、新聞で読んで知っていた(今日、本人もそのことに触れていた)。CDもたくさん出ている。つまりは、知る人ぞ知るなかなかのビッグスターなのである。

 にもかかわらず、この人が、その割に日本で無名なのは、テレビにも出ず、商業的なコンサートも開かないからであろう。今日も、「平和のつどい実行委員会」という地元弱小団体の主催で、150人前後の小さなコンサートであった。

 また、今日の主催団体名から分かる通り、彼の歌には反戦、反体制的なメッセージソングと言うべき歌も多い。彼のコンサートの主催団体が、左系の弱小市民団体である場合が多い理由もそれによっている。彼のことを胡散臭く思ったり、なんとなく食わず嫌いする人も、その辺りが原因なのではないかと思う。

 私も、音楽を聴いて疲れるのは嫌だし、まして戦争をやってはいけないなどというのは、いわゆる「頭」のレベルではよく分かっていることなので、反戦的なメッセージソングを、わざわざお金を払ってまで聴きに行きたいとは思わない人間の一人である。しかし、この黒坂黒太郎の音楽(歌)は、仮に内容が反戦であろうが、反体制であろうが、いいのである。なぜだろうか?今日は、そんなことも考えながら聞いていた。

 もちろん、黒坂の音楽にはそのようなものも含まれるというだけであって、それがプログラムの多くを占めたりはしない。むしろ、ごく普通の人と人との関わりや、親子の関係や、故郷への思いといったものを歌った歌が多い。また、たとえ反戦であったとしても、彼の歌には、「反」という言葉に象徴されるようなネガティブな雰囲気が全くなく、常に何か肯定的なものを感じさせる。もちろん肯定の対象は「戦争」のような悪ではない。例えば、反戦歌の場合、権力や軍を非難するよりも、「戦争」の中で苦しむ弱い立場の人間を肯定的に愛情を込めて描く。そしてこのことが、彼の音楽をなんとも温かく、ほのぼのと気持ちの良いものに仕立てているのだと思う。これは、彼のやり方というよりも、彼の人柄なのだろうと思う。

 冒頭に「家族で」と書いた通り、2歳と5歳の、つまり通常はコンサートへの入場お断りという年齢の子どもを連れて行った。静かなコンサート会場ではあるが、幼児の入場を断るような雰囲気もなく、それに目くじらを立てるような人も、この人の演奏会には来ない。それを知っていてあえて連れて行った。2時間を超えるコンサートになったが、子どもたちはそれなりに真面目に聴いていた。最後の15分くらいは、多少動くようになったものの、それまでは至って静かにしていた。我が子が立派だというのではない。心地よい音楽というのはそういうものなのである。