父を失う



 周知の通り(?)、一高祭初日に当たる8月29日の夜、父が逝去したので、授業があまりなかったこともあって、先週はお休みをいただき、「長男」業務に専念していた。長く患った末の死だったので、今のところさしたる感慨もないが、やはりこれは大きな出来事なのだろうと思う。ある時代を生きた一人の人間を記念して、以下に私の「遺族代表挨拶」を載せておくことにする(8月30日の通夜及び31日の葬儀の挨拶を合成したもの)。


「喪主に代わり、遺族を代表しまして一言ご挨拶申し上げます。

 本日は、お忙しいところ、また台風が近づいてお足下の悪い中、父・平居俊の葬儀にお越し下さいまして、誠にありがとうございました。父が亡くなってから葬儀までの日程が窮屈で、お知らせもなかなか行き届きませんでした中、これほど多くの皆さんにお集まりいただき、父もさぞ喜んでいることと思います。

 また、○○様、△△様には、大変心のこもった温かい御弔辞をいただきまして、本当にありがとうございました。特に△△様におかれましては、葬儀委員長をもこころよくお引き受けいただき、葬儀に関する準備の全てにおきましてお心配りをいただきました。誠に感謝に堪えません。

 さて、父は、昭和6年10月9日、三重県伊勢志摩の小さな漁村である五カ所浦の、青龍寺という臨済宗妙心寺派のお寺に、次男として生まれました。小学校を卒業すると、旧制県立工業学校に入学して松阪市で寮生活を始め、昭和25年に新制の三重県立松阪工業高等学校化学科を卒業、東洋ゴム工業株式会社に入り、大阪に移り住みました。以後、約42年に渡り東洋ゴムに勤務し、大阪、仙台、兵庫県龍野、神奈川県寒川、三重県桑名、愛知県北名古屋と6つの工場、事業所で勤務し、平成3年に定年退職を迎えました。この間、仕事にも、多くの趣味にもエネルギッシュに取り組み、人々との出会いにも恵まれながら充実した日々を過ごして居たと思います。定年退職後は、その気候風土を愛し、最初の仙台勤務時代に土地・家屋を購入してあったこの名取に移り住んで、母と共に、登山に、テニスに、旅行にと悠々自適の老後を過ごしておりました。

 ところが、平成14年1月23日、思いもかけない脳溢血によって半身の自由を失い、長い闘病生活を送ることになりました。平成19年には骨盤に悪性腫瘍も患い、一昨日、それを直接の原因として、満78歳を目前にして息を引き取りました。

 父の両親が、どちらも90歳代の半ばまで元気に生きておりましたので、私は、父が70にして病に倒れ、80歳に至らずに死を迎えたということは、非常に意外な感じがいたします。人一倍活動的であった父にとって、好きなことが好きなようにできない、人生全体の1割にも相当するこの7年半は、決して本意とは言えない時間であったかも知れません。しかし、私に子供が生まれたのが遅かった都合もあって、その7年間があったおかげで、父は孫を抱き、また孫が足元にすがりつくという体験ができたわけですし、母はもとより、ケアマネージャーの□□様を始めとして、最期を看取って下さいましたライフケアセンター名取、更には広南病院、県立ガンセンターなどの方々の温かい励ましと献身的な看護・介護に接することができて、それはそれなりに幸せな時間であり、父は思い残すこともなく息を引き取ったものと思います。私達家族にとっても、苦労はありながら、よい心の準備の時間であったと思います。

 生前父が、「自分は本当にいいタイミングで生まれて来た。あと5年早く生まれていたら戦争に行かなければならなかっただろうし、あと5年遅く生まれていたら、リストラの心配をしなければならなかったかも知れない」と言っていたのを、私は大変印象深いものとして憶えております。確かに、先ほど△△様の御弔辞にもありましたとおり、未来に向かって夢を持つことのできた高度経済成長期に、新設の大工場で思う存分仕事をし、無事定年を迎えた後には、海外をも含めた母と二人での旅行や登山、毎日のテニスといった悠々自適の日々を送るなど、時代を味方に付けて幸せな人生を送ったことは、そばで見ている私にもよく実感されました。まったく羨ましいような人生でした。

 ところで、その死に際し、私はふと、父は私達に何を残してくれたのだろうかということに思いを致しました。もとより、豪邸や巨額の預貯金があるわけではありませんが、先ほどのご弔辞をお聞きしながら、私が知らず知らずのうちに父から受け継いでいるものの多さ、大きさを改めて感じましたし、更に、今回の死についての一連の出来事を通して、私の頭の中に思い浮かんで来たものが二つありました。

 一つは「命」です。私は父から命を受け継いでいるなどということを、日頃意識したことなど無かったのですが、父が息を引き取った直後に、私の1歳を過ぎたばかりの息子が、その意味を理解することもなく、得体の知れないことを口走りながら、父の周りを楽しそうに走り回っているのを見た時、ふと、この子が父の命を受け継いでいるということが強く意識され、そこから振り返る形で、自分も父の命を受け継いでいるということに思い至りました。そして、命というものはなんと美しく尊いものか、ということを感じ、またありがたいと思ったのです。

 もう一つは人間関係です。先ほど申しましたとおり父は、生涯に大きく見て八つの場所で生活をしましたが、それぞれの場所で、職場の人間関係に閉じこもることなく、この点は父の偉かった点だと思うのですが、地域のテニスや登山等のサークルを通して、多くの方々と出会いました。それらの方々は本当に魅力的な方々ばかりで、私達家族も、父の友人からは実に多くの恩恵と影響とを受けています。

 父の闘病生活は長く、特に最後の1年はほとんど意思表示さえままならないような状態でしたので、私は父の死に対して驚きも悲しみもほとんど感じることはありませんでしたが、今日の午前中、父の遺体を火葬に付し、骨になってしまった父を見たとき、初めて私はなんとも言いようのない心細さを感じました。まして、母はなおさらだったと思います。そんな私達にとって、父の残してくれた人間関係は本当に心強いものです。

 父は亡くなりましたが、名取には母が残りますし、私達も出入りしております。父の生前のご厚情に対して改めて心より感謝申し上げますと共に、遺された者に対しまして、今までと変らぬお付き合いとご助力とを賜りますようお願い申し上げます。

 本日は誠にありがとうございました。」