重い腰を上げる



 毎週、週の初めに名前のない学級通信もどきを出している。「もどき」である。これでも一応需要があるらしく、クラスが変わった時に、継続的に欲しいと言われることが結構多かったので、今は授業に出入りする全てのクラスで配るようになった。冒頭に日付と、それに続けて「担任所感」と書いているので、これを名前だと思って、「担任所感」とか、たいてい月曜日に配るので「月曜プリント」とか、私の名前を冠して「平居通信」とか呼んだりする人が多いようであるが、私としては名前をつけた覚えはない。格好いい名前の付いた学級通信、教科通信を目にすることも多いが、なんとなく気恥ずかしくて、私にはそんなことは出来ない。数字に追い掛けられそうになるのが嫌で番号も打っていない。しかし、子供に「見せろ」と要求するために、出る曜日が決まっていると助かるという保護者からの要望につい応えてしまい、考査中を除き、週の最初の日に出すという慣例が確立してしまった。

 前々からそれをホームページかブログにしろ、という声はあったが、「忙しくてそんなことやってられない」と断っていた。最近また生徒から何回か求められ、「『高村光太郎』よりもこっちの方が面白い」(『高村光太郎』とは私の著書『「高村光太郎」という生き方』(三一書房)のこと)などと変な(喜んでいいのか悲しんでいいのか?)あおり方をするので、別に広く自己主張をしたいという気持ちもないのだが、在学中に限らないコミュニケーションが出来るというのは確かにメリットのような気もするし、社会参加として「言論」は大切だとも日頃から思っているので、とうとう重い腰を上げた、というわけだ。始める以上は、過去のものまで含めて、このプリントを主として学校内で公にした雑文を順次公開しようと、冬休み(名ばかりで、仕事は29日まで続くが、気分は違う)に入ったのをきっかけに作業をすることにした。

 今時珍しく、私のプリントは手書きである(B4版1枚、裏面には新聞記事や書物からの引用)。特に保護者の方々からは「手書きを維持して欲しい」と強く言われる。ブログは手書きにはならない。その意味で、私の文章もずいぶん印象の違ったものになるだろう。また、小さなスペースに短い時間であわてて書いていることから来る、誤字、内容上の間違い、説明不足等がけっこうあって、それはどうしてもそのままというわけにはいかないので、文章をいじりながら入力すると、ものによってはオリジナルとずいぶん変わってしまうものもあるかも知れない。あしからず。

(補)*「公開」の性質上、校内の行事についての些末な感想などはほとんど省き、多少なりとも一般性を持つものだけを選んで載せることにする。一般性があっても、駄作中の駄作や、話題とした人物のプライバシーに配慮が必要なもの等は省く。

*見出しを分かりやすくするため、月曜日に出たプリントから複数の記事を載せる場合は、一日ずつ後の日に分けて載せる(火曜日、水曜日の分は、たいていもともと月曜日の記事)。

*「月曜プリント」以外に、「学年の手引き」その他、校内の諸紙誌から依頼されて書いたものも、手元にある範囲で載せる。ただし、学校外のものは一切取らない。

(2010年4月追加の補足)

学校が変わって、状況が一変し、今までのようなちまちました雑感プリントを出すような雰囲気でもなくなった。書くことのメリットはあるし、時折、これに目を通してくれている人もいるようなので、「プリント」ではなく、このブログに日々の雑感を書き込む努力を始めることにした。2010年4月以降の文章は、基本的に、このブログのための書き下ろしである。

(2017年9月の追記)
 2011年5月から3年間担任となり、また平居プリントを出した。それに基づく記事については、いつの学級通信に載せたものかを明記することにした。2014年4月以降のものも含めて、このブログのための書き下ろしでないものは、全て初出を注記してある。また、2010年4月から2012年3月、宮城県水産高校の日常について書いた記事は、『それゆけ、水産高校!』に取り入れたものを、出版するに当たって削除した(2012年7月26日にその旨の記事あり)。