原点は人と人(5)・・・Sさんのこと



 ちょうど2ヶ月前の3月24日に、「震災時、我が家族の記録」と題して、震災2日後に我が家族が無事そろうまでの動向を書いておいた。その際、妻が津波に襲われ、ある家の門柱に上ったところ、目の前に流されてきたトラックの運転手Sさんに親切にしてもらったことに触れた。今日はその後日談。

 妻は、津波で被災した時、とっさに携帯電話で、トラックの荷台に付けられた会社名と運転手名を書いたプレートを写真に撮っておいていた。運送会社の名前から、その所在を探し出すと、5月の初めに、貸してもらった作業用の上着に、心ばかりのお礼の品とお礼状とを添えて、Sさん宛に送った。

 荷物が届くと、Sさんから電話がかかってきた。たまたま私が出た。私はその運転手さんに会ったことはないし、歳も風貌も聞いていなかったので、声を聞いて、非常に快活で若々しい人であることに驚いた。なぜか意外だったのである。Sさんは、ひとしきり我が家族の無事を喜び、荷物の礼を言って電話を切ったが、その何日か後に、また電話を寄越し、我が家の子供の年齢などを聞こうとする。私は、Sさんが子供に何かを送ってくれようとしていることを感じた。そして、妻が幾ばくかのものをお送りしたのは、震災時親切にしていただいたことに対する余りにもささやかなお礼であり、一切気にしていただくには及ばない旨繰り返し申し上げたのである。ところが、一昨日、我が家に荷物が届いた。差出人はもちろんSさんで、中には子供のためのお菓子の詰め合わせや、大人用のお菓子、お茶等が入っていた。これが「お返し」なのか「支援物資」なのかは悩ましいところであるが、むしろ私(達)を非常に感激させたのは、添えられていたSさんの奥様からのお手紙であった。便箋2枚に、実に端正な手書きの字で、以下のようにつづられていた。


「はじめまして。Sの妻です。

先日は、まだ大変な時に主人の事をお気遣い頂き、とてもあたたかいお手紙など御丁寧にありがとうございました。

3月11日に石巻で被災して自宅に帰って来てからも、ずっと平居さんとお子様の心配をしていたんです。

平居さんに法山寺の避難所を教えて頂いてとても助かりました。でも平居さんは、法山寺に居なかったと言っていたので、お手紙で家族全員無事だったと知り、とても安心しました。本当によかったです。

法山寺に1週間居て帰って来てから主人は、1週間程度仕事をお休みして今、また福島まで行っております。

あれ程大きな地震津波を体験しひどい状態を見た為、まだ心の傷は癒えていませんが、平居さんや被災地の方とは比べものになりません。

今も避難所で一緒に過ごした方々と連絡を取っていて、被災した人にしかわからない苦しみを話したり、主人にとって石巻がいろいろな意味で忘れられない場所になったようです。

何か私達に出来る事があれば言って下さいね。○○の方へ来る事がありましたら連絡下さい。いつか会えたらうれしいです。

まだまだ余震も続いているし、大変だと思いますが、お体に気を付けて下さいね。

平居さんのご家族の幸せをお祈りしています。 」


 とても純粋・素直で温かな人柄の感じられる、本当に素敵なお手紙だと思う。Sさんが、避難所で一緒に過ごした人々といまだに連絡を取り合っているという話も、その人柄を彷彿とさせる。私も、このご夫婦には一度会ってみたくなってきた。この世は何と美しいのだろう。