「悲劇」と「英雄」を求める心



 本当は、今日、フィンランドの教員養成システムについて書いて、フィンランドシリーズを終わりにしようと思っていた。ところが、その前に読んでおきたいと思っていた本が届かないという事情があったりするので延期し、10月28日付「第2次月曜プリント」の裏面に引用した某書籍(都合により書名は最後に明らかにしよう)の記事に触れておこうと思う(この日のプリント表=本文には、公開するほどの一般的内容がないので、パス)。

 妻が持っていたこの本を手に取って、パラパラとページをめくり、私はびっくり仰天。現在我がクラスに在籍するKが、実名で登場していたのである。本人も何も言わないし、水産高校の教員もおそらく誰もこの記事には気付いていないのであろう。Kが登場する文章のタイトルは、「お年寄り救った少年は「1・17」生まれ」というものであった。

 教室でプリントを配ると、生徒達から「おっ、すげーっ」みたいな反応がある一方で、当のKはご機嫌斜めである。それは、自分の善行を公にされることが「恥ずかしい」とか「照れくさい」とか、或いはKの慎み深い性格による、というものではなく、この記事には嘘がいっぱいある、ということによるらしかった。Kから詳しく話を聞いてみて、私はよくある事ながら由々しきことで、この記事は、ジャーナリズムや野次馬的な人々の心理と行動を代表しているようにさえ思われたので、紹介しておこうと思う。

 全文引用するには長すぎるので、私があらすじの形でまとめ、問題の箇所はほぼ原文通りに引用して太字とし、その後に( )で、事実はこうだというKの話を挿入する。前書きにも問題はたくさんあるのだが、説明が面倒だし、以下を読めば明らかになることでもあるので、そこには触れない。


 「Kは、震災の際に母親と共にJR渡波駅に避難し、かろうじて津波から逃れた。近くからは「助けて」という悲鳴が聞こえたが、誰も動けなかった。何もできないふがいなさと怒りがこみ上げてきた(ふがいなさはあったが、怒りはなかった)。

 水の流れが落ち着いた頃、流れ着いた車数台に人影を見つけた。母親に「大人に任せなさい」と制止されたが、「自分がやらなかったら死んでしまう(「大人」が「老人」しかいなかったので、自分が行くしかなかった)」と思い、胸まで(腰まで)水につかりながら車をこじ開けた。なぜかその時は強い力が出た(いつも通りの普通の力だった)。高齢者を6、7人助け終えた時、寒さで震えている自分にやっと気づいた(始めから寒かった)。

自宅は土台だけしか残っておらず、2軒隣に住んでいて「何でも話し合えた」という幼なじみの同級生(ただの同級生だった)の女の子は、遺体で見つかった。

 1週間後、Kに助けてもらったという老人からのお礼のメッセージを持って、市職員が訪ねてきた。「そんなつもりで助けたのではない」と直接会うことは断った(市職員が訪ねてきた時、たまたま自分が不在だっただけ)。

 阪神大震災からちょうど1年後の平成8年1月17日に生まれたことを今になって意識するようになった(記者に生年月日を聞かれたので答えたところ、記者が「阪神大震災があった日だね」と言ったので、「そうですか」程度のことを言っただけ)。そして「阪神大震災もみんなが力を合わせて復興したんですよね(こんなこと言ったかな?)。この町も僕ら若者が立て直したい」と語った。」


 潤色の方向性は明瞭である。それは、「悲劇」と「英雄」を作りたがっているということだ。新聞記者がこのような潤色をするのは、人々が、これらを求めているからである。自分の心の中にもともとある「悲劇」と「英雄」への渇望が、震災という格好のネタを見つけ出し、形にしてゆくのである。収められた他の記事も、そしてもしかすると、他の新聞・雑誌の記事も大同小異であろう。

この記事を収めた本のタイトルは『がれきの中で本当にあったこと』(産経新聞出版)である。記事のみならず、ジョークとしての質もあまりに低い。