子供の遊ぶ声が聞こえる午後



 日曜日の午後、珍しく娘の友達が2人遊びに来た。

 日頃、週末に友達と遊んでいる姿というのを見たことがないので、うちの子は友達がいない寂しい子なのかな、と思い、しばらく前に尋ねてみた。すると、近所に同級生が全然いないのだと言う。21名の門脇小学校2年生の大半は、学区外の借り上げアパートや仮設住宅に住んでいて、歩いて行ける範囲に友達が本当に1人もいないらしい。

 日曜日に来た友達も、1人は大街道という所の借り上げアパートから、もう1人は、南境の仮設住宅から、親が車を10〜15分運転して送って来た。2週間以上前に約束をしての物々しいご登場である。

 これはさすがに被災地の特殊事情であるが、仮にこのような事情がなかったとしても、最近思うのは、子供が外で遊ぶ姿をあまり目にしないだけでなく、私が子供の頃のような、「○○君、あーそーぼー」といった玄関先での呼び声を耳にしなくなったということだ。少子化ということで子供の数そのものが少ない上、学童保育というものがあって、放課後すぐに帰宅するわけではないし、家の構造が変化して防音性能が高まり、そのような素朴な呼び声が通用しにくくなった、ということもあるかも知れない。もちろん、私が最近よく問題にする、遊びの質の変化ということもあるだろう。とにかく、近所に友達がいさえすれば、日常的に家を行き来して遊べるのかどうか、少し気になる。

 子供達は、4つ歳の離れた弟をも上手く巻き込みながら、隣家の土手でそり滑りに興じていた。家の外からキャーキャー、ワハハという声が聞こえてくる。子供達が楽しそうに遊ぶ無邪気な声が聞こえてくるのはいいものだな、と思った。おそらく、周囲の家でもそう思っていることだろう。世の中に何とも言えない安心と明るさをもたらす声である。こんな声があちこちから聞こえてくるようになると、少々不景気でも、夢や希望が感じられてくるはずだ。少子化の本当の問題というのは、経済が停滞するとか、借金が返せなくなるとかいうことではない。人々が本当の希望や優しさを持てなくなることだ。