被害者救済法と公園の廃止

 「被害者救済法」(通称)が成立した。この問題についての私の考えは以前(→こちら)と変わっていない。宗教にお金をつぎ込むのと、競馬やパチンコといったバクチにつぎ込むのとどう違うのだろう?法律の条文をよく読んだりはしていないけれど、与党も野党も風潮に流されて決めてしまった危険な法律に思われる。
 この法律の成立について、わざわざ夜の7時から首相が記者会見を開いたのも迷惑だった。毎回、山のように可決される法律の中から、一つを取り出して首相が自ら説明するというのは異例である。それが、社会のごくごく一部を対象とする法律だったからなおさらだ。そして、私が「迷惑だった」と書いたのは、それによってブラタモリの放送が丸々1ヶ月も延期されてしまったからである。
 「何!平居は国政を何と心得る?ブラタモリとの軽重は明らかではないか。」と怒る人もいるかも知れない。だが、上に書いたような事情で、私はこの法律をパフォーマンス的要素の強いものだと思っているから、ブラタモリとの軽重でブラタモリに軍配を挙げるのである。しかも、今回は「大井川」で、私の大好きな大井川鐵道(→関連記事)も取り上げられることになっていたから、放送延期はなおのこと残念だったのだ。ネットで見てみると、同様の憤懣を感じた人は相当数に上ったようで、首相にしてみればいかにも立派に説明責任を果たしているかのような自己満足を感じているのかも知れないが、実は支持率の更なる低下へ向けて拍車をかけたことになったかも知れない。(半分は冗談だが、半分は本気です。)

 あまり暗い話は書きたくないのだが、少し触れておこう。少し前から、長野市のある公園が話題になっていた。近くの住民が、そこで遊ぶ子供の声がうるさいと言って、市に対応を求めていたという話だ。そしてついに木曜日、長野市が公園の廃止を決めたというニュースが流れた。言葉を失う。(→関連記事
 これ以外にも、時々、子供の声がうるさいというトラブルを耳にすることがある。文句を言う人は、どんな子供時代を過ごしてきたのだろう?24時間騒ぎ声が聞こえているならともかく、学校が終わってから暗くなるまでのせいぜい2~3時間である。私なんかは、むしろそれだけ元気な子どもたちがいることに安心を覚えるのだけれど・・・。
 私が心配するのは、その公園を追い出された子どもたちが、どこで何をしているかということだ。他にのびのびと遊ぶ場所を見付けられたのならよいが、そうでなければ、部屋の中で電子機器を与えられて反射神経を研いでいるか、受け身に映像を見ているか、となりかねない。子供を静かにさせておくのは、それが一番簡単だからだ。しかし、それでは絶対に健全な発達が阻害される。取り返しのつかないことだ。
 苦情を訴えている住民は1人らしい。その住民は公園ができるより前から住んでいるのだろうか?なぜ市は子供の成長にとっての公園の意義を説き、場合によってはその1人に移住を促すなどの毅然とした対応を取れないのか?
 私はかつて、少子化の原因として、自然からの乖離とエゴイズムを指摘した(上の「関連記事」にリンクが張ってある)。自分の少年時代を忘れ、自然の摂理を尊重しない。全てはそういうことなのだ。そして、学校も同様だが、苦情が寄せられると是非を考えることなく萎縮する。そうして世の中はどんどんゆがんでいく。