自然のデリカシー



(5月24日付け学級通信より)


 日曜日は、朝4時半に起きて南面白山(1225m)に登りに行っていた。某高校山岳部の「指導」というのを頼まれて付いて行ったのだが、「指導」といっても、日帰りで、特別どんな難所があるという山でもないので、下山路に入ると心はそわそわ、手土産に持ち帰る山菜ばかりが気になり、山道を離れては藪をガサゴソとあさり、列から大きく離れて歩くようになってしまった。さっぱり「指導」にならん。

 私が好きな山菜に、コシアブラというのがある。独特の風味があって、天ぷらにするとすこぶる美味い。タラノメと同じで、芽を、葉として開く直前に採る。下山を始めた直後に見つけたコシアブラの木はまだ芽が出ていなかったが、標高900m前後まで下りると、程よい芽が見つかるようになった。大喜びで採りながら、まだまだいっぱいあるはずだから、あまり若すぎる芽は採るまい、と自制していた。ところが、間もなく、既に葉が開き、食べ頃を過ぎたものしか見つからなくなってしまった。本当に食べ頃の芽が採れたのは、標高にしてわずか50mからせいぜい100mの間にあった木だけだった、ということになる。これはもちろん、標高が高くなるほど寒いという自然の法則によるのだが、気温は100mで0.6度変わるだけである。たったそれだけの温度差に、木がこれだけ敏感に反応するというのは、今更ながらに大きな驚きであった。自然のデリカシーに感動した。


【制服の改造と精神年齢・・・】

 制服の改造は、どこの学校でもありふれた日常問題である。このたび、ネクタイを短くして熱帯魚の尻尾をぶら下げているようにしていることについて、改めて強い注意のお達しがあった。ブレザーの短ランとか、ネクタイの短縮とか、ブレザーにボンタンとか、常識的におよそ考えられないようなことが続々と行われていて呆れる。それらはやっぱり諸君にとって格好いいのかな・・・???諸君はそれらを格好いいと思ってやっているのではなく、規則をきちんと守ることが格好悪いと思ってやっているのではないか?と私は想像している。

 1〜3歳くらいの子供(幼児)を見ていると、大人がダメと言いたくなることほどやりたがるという傾向がはっきり見られる。ということは、制服改造は、幼児と同じレベルの行為だということになる。してはいけないと言われるとやりたくなる、というのは、大人の心の中にも潜在する衝動のような気がするけれど、実行するかどうかの違いはやはり大きい。


(もうひとつの記事は、明日、別立て)


(裏面:5月19日付け『日本経済新聞』より、大崎善生「世界で一番優しい雨」を引用。

平居コメント:激動の世の中を新聞で考えるのも大切だけれど、時にはこんなエッセイもいい。)