動物→怪獣は昇格?降格?



(6月26日付け学級通信より)


 昨日の話、ある先生から「平居先生んとこの怪獣、相変わらず元気そうですね!」と声をかけられた。私は一瞬何を言われたのか分からず、「怪獣?」と聞き返したところ、「先生の可愛いE3の怪獣たちですよ・・・」と言われ、思わず笑ってしまった。私が日頃からE3を「動物園」と呼び、自分で「動物園長」を名乗っているのを聞いて、その先生の中で「動物」から「怪獣」への飛躍が起こってしまったわけだ。私が、「おぉ!彼らもついに怪獣に昇格したか!」と言うと、また別の先生が、「えっ?!動物から怪獣って降格じゃないんですか?」と言うものだから、今度は動物から怪獣への変化は「昇格」か?「降格」か?という変な議論になってしまった。確かに、強くなったという意味では「昇格」だが、人間から遠ざかったという意味では「降格」だ。結局、答えは出なかった。まぁ、元気がよくていい、という褒め言葉として受け取っておくことにしよう。

 ところで、先日、図書館のA先生が、開けたことのなかった戸棚を開けたところ、1959年の生徒手帳と『寸言集』なる冊子が出て来たと言って、見せてくれた。『寸言集』というのは、卒業に当たっての一言(教員、卒業生全員と在校生の一部)を印刷した薄い冊子で、今で言えば生徒会誌『錨想』の一部だけを冊子にしたようなものである。一読して、今の高校生との違いに驚かされた。ふざけ半分、というのも無いわけではないのだが、下ネタに走るなど下品な、若しくは節度のないものはない。例えばこんな感じだ。

・「善良なる諸君、社会に出たら希望を持って常に前進せよ。そして宮水に華を咲かせよ。」

・「『男子立志出郷関、学若無成死不還』忍耐、努力、これこそ栄光の道だ。諸君の健闘を期待す。」

・「才能は無くとも人格は備えるべし。」

・「人を批判する目で自分を厳しく見て反省する人は大成する。失敗の損失を悔やむな。その反省から大きな幸福が生まれる。」

・「知識は寛大な贈り物ではない。それは常に活発な自己学習の贈り物である。」   などなど・・・

 念のため確認しておくと、これらは先生の言葉ではなく、卒業生の言葉である。今の宮水生と比べてどれくらい優秀だったのかは知らないが、これらの言葉は、彼らの現実よりも、その若々しい「背伸びする姿勢」に好感が持てる。彼らは今年72歳になるはずだ。これらの言葉を書いた人たちが、その後どんな人生を歩んでいるのか、知りたくなってきた。


【震災を乗り越える(?)高校生】

 最近、立て続けに3種類のアンケートに答えてもらった。毎回ひとつずつ簡単に紹介しよう。まずは、「防災訓練アンケート」である。

1)災害時の避難場所を家庭で話し合って → いる 21 いない 17

2)学校で被災した時の帰宅方法を家庭で話し合って → いる 14 いない 24

3)自宅近くの避難場所について → 知っている 31 知らない 7

4)通学途中の避難場所について → 知っている 21 知らない 17

5)いろいろな場所で被災した時のイメージをしたことが → ある 22 ない 16

 震災前とどう変わったかを考えるデータがないので何とも言えないが、震災を経験した被災地の高校生として、意識が高い、とは決して言えない。だが、実は、私はなんだか少しほのぼのとした安心も感じてしまった。テレビや新聞では、今でも防災に関わる報道がとても多い。まるで、自然災害の心配ばかりしていなくては許されないようだ。これは弊害も大きく、気分も疲れる。なるようにしかならない、出たとこ勝負・・・それもアリだな、と少し思う。


(他の記事省略)


(裏面:6月23日付け『朝日新聞』より、「集団自決すり込まれた忠誠心 沖縄きょう慰霊の日」を引用。

平居コメント:う〜ん、本当に戦争に勝る悲劇はないな、と思う。「戦争はいつの間にかやってきた」と言うけれど、それは少し無責任な言い方だ。人間のすることだから、必ず動機とそこに至る行動とがあったはずだ。目前の利益と快楽とを追い求めた最後の最も破滅的な結果として戦争はやって来る。私はそう思うよ。)