携帯電話を持たないおかげで・・・



 そういえばこんなことがあったな、と、ふと思い出したので、書いておこう。

 先月27日のことである。このブログでも少し触れたが、この日は夜中から激しい雨が降っていた。冠水気味の道路に不安を感じながら学校に着くと、校地が冠水の危機である。列車も止まっていて、いつも通りに学校を始められる状況にない、ということだった。少しタイミングとしては遅れたが、8時に、「列車が止まっている。各自安全が確保できる場所で待機するように」という内容の緊急連絡メールというのを、教頭が配信した。今ではどこの学校でもそうなっていると思うが、生徒や保護者の携帯メールを登録させて、緊急もしくは重要な情報はメールで一斉配信するようになっている。宮水も、だ。

 何時から学校が始められるか分からないけれど、とりあえず生徒が来ず、授業もないという解放感と、このまま休校になったら、また冬休みを1日カットとかいう話になるんだろうなぁ、冬休みが減るのが嫌というよりは、そういう話の「せこさ」が嫌だなぁ、と思いながら、溜まっていた生徒の作文チェックとか事務処理とかをしていた。

 私のまわりの教員は、担任を中心として、ほとんどが携帯電話で通話中だ。見ていると、ひっきりなしに生徒から電話が掛かってきている。指示は既に緊急連絡メールで為されている訳だから、何の用事があるのかと思うが、電話は頻繁に入るようである。気になったので聞き耳を立てていると、実に他愛もない会話が多い。メールの内容を繰り返しているだけだったり、今どこにいるというような話だったり、である。「おまえ、さっきのメール見なかったのか?!」と怒っている担任がいたりする。1〜2度、「平居先生のクラスの△、うちのクラスの○と一緒に石巻駅にいるそうですよ」みたいな声をかけられた。

 多分、この日かかってきた多くの電話で、本当に必要だった電話というのは一件もなかったのだ。携帯電話を持っていない私には、一件も電話は入らなかった。学校の電話にかければ通じたはずなのに・・・である。これは、そこまでするほどの用事はない、ということだ。もちろん、私が携帯電話を持っていないことに対する非難も含めて、トラブルはなかった。3校時から学校が始まった時、私のクラスの生徒の出席率はむしろ高かった。

 これは、携帯電話がいかに人と人との壁を低くするか、それに伴って、いかに不必要などうでもいい情報のやりとりが増えるか、ということをよく物語っている。どんな場面でも、情報の取捨選択は必要だ。しかし、意識的に取捨選択をすることは、それだけでなかなか大変な作業だ。携帯電話を持たないだけで、それが実にスムーズかつ簡単にできてしまう。電話対応に追われる同僚を横目に私は、生徒の提出した夏休み課題のチェックを、悠々と進めることができたのだった。

(参考→こちら