マスクマンの統計学

 昨晩は、台風の影響で久しぶりの雨。植物も生き返ったことだろう。そして今日は、気温がぐんぐん上がり、石巻でも最高気温が32.8度になった。それでも、風はあるし、湿度は低いし、なかなか快適な夏日だ。仕事をしに学校には行ったものの、今日は形式的に「振休」を取っているんだっけ、と思って、早めに学校を出、4時過ぎに帰宅。強い西日にめまいを感じながら、娘と自転車で買い物に行き、息子とキャッチボールをして汗をかいたが、日が暮れると涼しくなって、秋の気配すら感じられる。そう言えば、一昨日が立秋であった。
 既に何日か前の話だが、ある人と話をしていて、「マスク」のことになった。
 特に空気感染する病気にかかっているとか、そんな病気が流行っているとかではなくても、年中マスクを手放せない生徒というのが少なからずいる。30度を超えた夏の日、マスクをしているのは相当に暑苦しいと思うが、彼らはマスクを手放さない。年中マスクを手放せないのは、クラスに3〜4人、夏場以外なら5人を超えるだろう。
 この数年のことだと思うが、高校内だけではなく、街を歩いていても、年から年中マスクをしている人をよく見かける。場所柄、学校と自宅を往復する途上には、水産加工会社がたくさんあって、そこには相当数の外国人実習生がいる。「実習生」という名目の安価な労働力で、かつては大半が中国人だったが、最近は中国人が減って、ヴェトナム人やインドネシア人が増えているらしい。彼らの中にもマスクマンがたくさんいる。しかも、宮水の生徒は、たいてい白い使い捨てのマスクをしているが、外国人実習生は、布製で、大きく、原色系のどぎつい色で絵が描いてある物が多い。薄暮の中、そんな人と自転車ですれ違う時、一瞬、顔中に入れ墨がしてあるのかと、血の気が引いていく思いがする。
 さて、彼らがなぜマスクを手放さないのかはともかく、ある人と話していたのは、統計的なことだ。マスクを手放せないのは女子が多い(外国人実習生でも同じ傾向)。たぶんマスクマンの8割くらいは女子だろう。面白いのは、その点以外に、彼ら、彼女らには、「こういう子がマスクを手放せない」という傾向が見出せないことだ。つまり、成績の善し悪し、問題行動・自分勝手な行動の多寡、性格(内向的、外向的、善良、真面目さ、陰湿など)とマスクの相関関係は希薄であって、どういう子がマスクマンになるのか読めないのだ。
 これと対比的に思い出され、話題となったのは、携帯電話、女子のスカート丈である。携帯電話中毒の生徒は、ほぼ100%が問題児である。ここで言う「問題児」とは、学校生活に目が向いていない生徒のことであり、更に具体的には、勉強をしない、集団生活のルールを守らない、ということである。スカート丈を短くする女子生徒は、勉強するしない、成績の善し悪しとの間に相関関係はないが、集団行動は苦手(=自分勝手)な生徒が多い。学校に服装規定があるのに、それを守らず、スカート丈を短くするわけだから、集団行動、もしくは集団のルールを守るのが苦手なのは当然なのだが、学習への取り組みとは無関係、というところが面白いのである。
 人の行動というのは、必ず内面と結び付いていて、「何か」を表しているに違いないのだが、マスクについてだけは、その「何か」が見えない。当初は、自分に自信がない子や、陰で悪いことをしているような子がマスクで素性を隠そうとするのではないか?などと言っていたが、いくら悪意的に詮索しながら見ていても、結局、そんなことはありそうにない。話題になると、ただこういう統計論でお茶を濁すことになる。う〜ん、これは何なのだろう?