五浦海岸の岡倉天心遺構



 移動の最中、久々に天心関係の本でも読んでみようと思い、我が書架から選んだのは(というほど天心に関する本がたくさんあるわけではないけれど・・・)、先日、酒席で話題になりながら、記憶が曖昧で相槌すら打てなかった松本清張の『岡倉天心 その内なる敵』(新潮社、1984年)である。ただし、この本はなかなか読みにくい擬古文の引用がおびただしくあって、列車の中で景色も見ながらの「ながら読み」では、往復で半分も読めなかった。ただし、私が抱いていたどうしようもない俗物・岡倉天心のイメージは、もしかするとこの本によって生まれたのかな?と思った。あるいは、どの本を読んでもこの点は変わらないのかも知れない。

 大津港駅から天心が晩年を過ごした五浦海岸までは、歩いて行った。五浦と書いて「いづら」と読む。もともとは「いつうら」と言ったらしく、今でもその読み方は通用するようであるが、基本は「いづら」である。温泉が湧いていて、立派なホテルもある。

 駅には、五浦海岸まで3キロと表示されていたが、立派な道路で、さっさと歩くと30分で着く。道端にある天心の墓(東京染井霊園からの分骨)を過ぎると、すぐに「茨城大学五浦美術文化研究所」というたいそう厳めしい看板を掛けた門があり、入場料(300円)を徴収している。この中に、天心の旧居や、その「離れ」に当たる六角堂という建物があるのだ。

 ここは本当に素晴らしい場所だ。古風な日本家屋である天心旧居も含め、このままの状態で私が居所にしたいくらいである。五浦というのは、端磯、中磯、椿磯、大五浦、小五浦という五つの小さな入り江が連続していることによる名前らしいが、そのうち、大五浦と小五浦の間を分ける小さな岩の出っ張りの先に六角堂という堂が建っている。東日本大震災津波でオリジナルは流失したが、その後わずか1年で、所有者であった茨城大学が再建した。再建プロジェクトに関しては、先日石巻で映像を見せてもらったおかげで、一応は知っていた。流失前の六角堂は、いろいろと改修の手が加えられていたが、それを創建時そのままの形で再建したという。私が驚いたのは、窓に使われている大きなガラスである。平面性が非常に悪く、波打っており、小さな気泡まで入っている。昔、祖父の家にこんなガラスが使われた窓があったのを憶えている。確かに、天心が六角堂を作った当時(明治38年)、ガラスはこのようなものだったのだろう。だが、いくら創建当時そのままに再建するとはいっても、こんなガラスをどうやって手に入れたのだろうか?と感心した。

 目の前には本当に美しい海が、何の障害物もなく広がっている。シュノーケリングに程よい深さと透明度で、天心が「太湖石(中国の有名な石)」を思い浮かべたというごつごつした石の岩礁がほどほどにあり、波が打ち寄せている。水そのものも緑色がかって美しい。六角堂は、せいぜい6畳くらいの小さな建物だが、こんな所で読書にふけり、気の向くままに釣り糸を垂れるという生活は、最高の贅沢である。

 そこから1段上がった標高7メートル余りの所に天心旧居が建っている。震災時は床下浸水で、確認されている限り、茨城県の最高潮位だそうである。この家からも、多少木の間越しにではあるが海がよく見える。当時はどうだったか知らないが、家の前の芝生も美しい。家の隣に、横山大観の揮毫によるという大きな「亜細亜ハ一なり」石碑が立っている。仮名の使い方が理解できないし、太平洋戦争時に国家イデオロギー(八紘一宇)を支える言葉として用いられたことを横に置いておいても、軽薄で感覚的な言葉に思える。

 「研究所」という名前の天心公園を出て、更に1キロ弱ほど坂を上りながら歩くと五浦岬公園という所に出る。ここには、映画『天心』の撮影のために作られた日本美術院研究所の建物(セット)が残っている。せっかくだから向こう2年くらいはこのまま置いておくそうである。

 もともと日本美術院研究所は、五浦岬公園ではなく、大津港駅から天心旧居に行く途中の山の上に建つ「茨城県天心記念五浦美術館」近くの海辺(断崖絶壁の上)にあった。そちらは、現在、跡地である旨の石碑が立ち、小さな公園のようになってはいるが、建物も礎石も残っていない。

 ロケセットはしょせんロケセットだ。もともと日本美術院研究所にあった研究会員用の制作室は省略されているし、カメラが入った側はきれいに作られているが、反対側から見るとベニア板がむき出しだったりしている。日本美術院研究所の復元だと思って見るのではなく、ロケセットだと思ってみれば、それがまた面白い、ということである。

 「茨城県天心記念五浦美術館」は立派な美術館である。中に岡倉天心記念室という展示室がある。その生涯をたどりつつ、天心の書簡類を展示したものだが、展示品のほとんどは複製である。特に印象に残ったものはなかった。講堂では、1日に4回、五浦時代の天心に関する映画(20分)も上映されている(無料)。まったく何の知識も無くこの地に来た人には勉強になると思うが、多少の予備知識があれば、目新しいことのない映画である。

 五浦海岸一帯は、ゆっくり歩いて回っても、3時間くらいあればよい。大津港駅からタクシーを使えば、2時間でもほぼ十分だろう。あちらこちらに「天心」の文字が溢れるのは、少しでも名のある人を持ち上げて観光資源にしようという、日本の各地に見られる営業上の現象に過ぎないだろうが、面倒なことなど考えず、六角堂や美術館脇の展望台、五浦岬公園あたりでのんびりと海の景色を見ていれば、とても落ち着いたいい気分に浸ることができる。

 天心がとんでもない俗物だったとして、大観や春草のような才能ある画家が、わざわざ当時僻遠の地であった五浦に移住してきてまで、いわば失脚した一官僚に過ぎない天心の指導を仰ぎ、家族をも顧みずに禅僧のような生活をして画作に励んだとなれば、天心は画家の心を引きつける余程強力な「何か」を持っていたはずだ。私にはまだそれが見えない。