あっ、メダカ、メダカ!!!



 今月10日、我が家のメダカが死んだことについて書いた(→こちら)。昨秋以来、水も取り替えず餌もやらずに、「永久機関だ!」などといい気になっていたため、いざ死んでしまうと、罪悪感のような後味の悪さが生じてきていた。そして、その文章の結びに、「特に邪魔になるわけでもないので、1ヶ月ほど水槽をそのままにしておいてみよう。稚魚が生まれてきたら・・・救われたような気持ちになるような気がする」と書いたのである。

 そうしたところ、昨日の朝、妻と子どもたちが、水槽の中にメダカの稚魚を発見して大騒ぎを始めた。確かに、大きな目玉に短い尻尾が付いたような格好の、3ミリかそこらの稚魚が2匹、ツンツン、ピンピンといった体で泳いでいる。表情など見えるわけもないのだが、どう見ても、あどけなくて可愛い。6月10日に上のように書いた時、私の期待がどれほど本心であったかは怪しい。だが間違いなく、メダカは産卵して死に、今、その子が生まれ出て泳ぎ始めたのだ。

 いざ稚魚が誕生してみると、「救われた」というよりは、「命」に対する純粋な感動が大きい。そして、たった3ミリほどのメダカを見つめながら、生きているだけで十分ではないか、命にそれ以上のどんな価値が必要なのだ、と涙ぐましい思いにとらわれてくることをどうすることもできない。

 奇しくも昨日、メダカの稚魚が生まれたのを確認した後で妻が出勤すると、私の6月10日記事を読んだ妻の同僚某氏が、バケツに入ったメダカを妻に持って来てくれていた。目下、我が家の玄関、下駄箱の上には、生まれたばかりの3匹(←今朝、1匹増えていた)の稚魚が泳ぎ回る丸い金魚鉢と、某氏からもらった成熟したメダカが数匹泳ぐ四角い水槽(観察ケース)が並んでいる。