1グラムになったサケ



 昨年の11月12日に、登米市東和町にある北上川漁協のサケ孵化場を見学に行った話は、その翌日に書いた(→こちら)。孵化場で水に浸してあった、きらきら輝く受精卵は、その後どうなったかなぁ、そう言えば、そろそろ川に放流する時期だよなぁ、などと気になっていたので、天候も穏やかで、妻もいない子守の今日、息子を連れて見に行くことにした。娘は家で本でも読んでいると言って、一緒に来ない。

 事務所に顔を出すと、若い職員のKさんが、自分も様子を見たいからと言って、水槽に同行してくれた。昨年来た時には、北上川本流で獲って来た産卵間近の成魚を、一時的に入れていた水槽である。いるわいるわ・・・。5センチくらいに育った稚魚が、正に群れを成している。Kさんによれば、幅2メートル、長さ10メートルくらいの水槽一つに、20万匹ほどの稚魚が泳いでいるらしい。丸っこくてサケの顔には見えないが、体の模様は成魚と変わらない立派な「サケ」である。もっとも、絶えず流し込まれている清冽な井戸水の中にいると、ヤマメやイワナのような清流魚にも見えてくる。合計で500万匹にもなんなんとする稚魚は、なかなかの壮観だった。

 1月末くらいから放流を始めると聞いていたのだが、今年は2月17日に最初の放流を予定しているそうだ。放流するのは、採卵・受精に使った成魚を獲った北上川本流の脇谷(わきや)。孵化場から15キロくらい下流である。脇谷より上流なら、どこで放流しても脇谷を通って戻ってくるのだからいいようなものなのに、わざわざ手間をかけて脇谷まで運び放流するというのは面白い。理由については、Kさんもよく分からないのか言葉を濁したが、稚魚の命と引き替えに絶命した成魚の弔いのように思える。


(後からの注)職場に戻って、こんな話をしていたら、栽培漁業類型の先生が、以下のようなことを教えてくれた。「上流で放しても脇谷に戻ってくるというのは当たらない。なぜなら、脇谷は、新北上川旧北上川の分岐点の下、旧北上川側にあるからだ。脇谷で放すというのは、サケを旧北上川に遡上させたいということで、それより上で放せば、新旧どちらに戻ってくるか分からない。では、なぜ新北上川ではダメなのか、と言うと、それは新北上川を縄張りとする追波川(おっぱがわ)漁協の考え方、もしくは、追波川漁協と北上川漁協との関係の問題だろう。」納得!!


(本文に戻る)

 当然の話、放流は回帰率が最も高くなる大きさで行う。目安は体長5センチ、体重1グラムだそうである。私は運良く、放流直前の、最高のタイミングで訪ねたわけだ。

 職員の方が、餌をやっていた。サケ専用の餌をバケツから掴んでザーッとまくと、生意気にも、1グラムに満たない稚魚が、餌を取り合って大騒ぎをする。Kさんが、餌をやっていた方に向かって、「いやぁ、やっぱり餌やっとめんこいすねぇ」と声をかける。確かにその通り。やはり、餌をやって、稚魚が水面でピチャピチャとはねると、それが生き物だという実感をより大きく感じることが出来る。「命」に対する共感というか、いとおしさというか、それが「めんこい(可愛い)」という言葉になって出てくるのだろう。

 11月の見学実習と同様、その後は伊豆沼へ渡り鳥を見に行った。何日か前のどこかの新聞に、今年はガンの当たり年で、例年の2倍近い飛来数があるというようなことが書いてあるのを目にしたが、伊豆沼の渡り鳥の数は、例年以上には見えなかった。さんざん餌やりをし、サンクチュアリセンターで淡水魚も見物した。

 往路、息子が道路ぎわで目ざとく「宮城の明治村 登米」という看板を見つけた。息子は12月に本家、犬山の明治村を訪ねているので(→こちら)、「明治村」という言葉にひどく興をそそられたらしい。「お客さんを呼ぶために、明治村って言っているだけで、古い、明治時代に作られた建物も少しあるというだけの、ただの町だよ」と、興醒めなことを言っても、もう聞かない。私としても、息子は本家・明治村でそれなりに熱心に建物見物をした実績もあるので、高等尋常小学校くらい見せてやってもいいかな、と思い、帰路は登米に寄り道をした。いや、正しくは、登米(とめ)市の登米(とよま)町である。この地名はややこしい。

 私は、登米が「宮城の明治村」を名乗るほどのたいした町だとは思わないが、高等尋常小学校だけは見る価値があるのである。明治21年に建てられた木造の実に美しい校舎だ。どうせ勉強するなら、こんな校舎でがいいな、と思う。案の定、息子は大喜び。「昔の建物ってかっこいいねぇ!」とはしゃぎながら写真を撮り、ご機嫌で一日の小旅行を終えたのだった。めでたし、めでたし。やっぱり、娘も来ればよかったのに・・・。