復旧工事の怪・・・栽培実習場の防潮堤その後



 昨日、元毎日新聞社記者・西山太吉氏が起こした、1972年の沖縄返還を巡る日米間の密約文書開示請求に関する最高裁の判決が出た。これで、原告敗訴は確定である。1審では勝ったのに、2審と最高裁で負けた。上に上がるに従って、結論以外の部分もどんどん政府よりになっていく。行政機関が「存在しない」とする文書は、開示請求者が存在を証明しない限り公にできない、というのは無茶苦茶である。このように、政府を相手にした裁判は、今ここに列挙できないけど、下級審で勝ちながら上級審で負けるという例が多いと思う。特に最高裁は決定的に政府の擁護者だ。西山氏は「日本に三権分立はない」と激高しておられたそうだが、私も同感だ。特定秘密保護法はどんな運用をされるか分からず、どんな運用をされてもそれを確かめる方法すらない、ということになるに違いない。

 話は変わる・・・。

 今週は「面談週間」で、授業の終了が少し早い。しかも、私は正担任ではないので、面談に時間を取られることもない。時間に余裕ができたので、久しぶりで栽培実習場に行った。実習場前の浜が埋め立てられて、迷惑な防潮堤の建設が始まったというのはずいぶん前に書いた(→こちら関連記事)が、その後、作業は進められることなく放置されていた。ところが、昨日、栽培実習場に自転車で乗り付けると、まずは完成した真っ白なコンクリートの壁が目に入った。作業は一度始まると早いものである。

 ところが、実習場のすぐ目の前は、5mほどにわたって防潮堤が切れている。すぐ近くにいたS先生に事情を尋ねると、船に乗り降りするのに防潮堤が邪魔だ、と市に文句を言ったところ、その部分だけ防潮堤を作らないことになったそうだ。見れば、その部分から数百m北(内海側)にも、やはり5mあまり切れているところがある、数百m南(外洋側)は、地元の漁業者と市との間でちょっとしたトラブルがあったらしく、とりあえずは保留なのだそうだ。矢板を打ち込んで砕石を入れたきり手付かずになっている。このまま中止、ということもある・・・のかな?

 えっ??!! 万石浦という内海に沿った場所で、今回ほどの津波が来ても浸水しなかった場所だから、もともと必要性そのものが極めて低いものではあったが、それにしても、防潮堤というのは、全部完成してこそその機能を発揮するのであって、あちこち切れていたら、完成した部分も機能しない、というものではないのだろうか?いったいどれくらいの費用を費やした工事か知らないけれど、どう見ても、日頃学校の中で確保するのに苦労している数万円〜数十万円とはまったく桁違いの工事費だろうし、やっぱり狂っているな、とため息をついたことであった。

 そういえば、先日、仙台で『日本経済新聞』東北支局長Y氏の話を聞いた時(→こちら)の話である。陸前高田では、120mの山を47mまで切り崩し、高台移転用の土地を造成しているそうなのだが、それによって生まれる土地が22ha、工事費が約550億円で、そこに住む予定の人が560世帯1600人だそうだ。1世帯当たりの造成費用は9800万円(!)で、1世帯平均3人弱という数字から分かるとおり、多くは高齢者だ。Y氏は、その高齢者が死んでしまった後に土地をどうするのかということと、その土地のために費やされる金額の途方もなさに首をかしげていた。私は、輸入した膨大なエネルギーを費やして豊かな森を壊すことのマイナスと、それに対する無頓着にも慄然とする。

 私が見ていても、被災地にはこんな工事がたくさんある。それでも、何かをしていれば「スピード感のある復旧」が実現しているような気になるのだろうし、立ち止まれば批判され、誰かに何かを我慢させれば、「被災者に冷たい」と文句を言われる、ということがあって行われるのだろう。被災者以外の人々も、おそらく、多くは同様の評価をするのだろう。自分には見えない場所で行われている工事で、工費が生活感覚ではリアルに感じることのできない天文学的数字であり、税金という私たちにとっての間接的な支払いであるため、それらの工事のバカバカしさに正常な感覚が機能しないだけだ。やはり、30年後に反省の対象となるのは、津波からの避難ではなくて、その後の人間の対応だな。