小江戸・川越



 週末、いろいろと用事があって、首都圏に行っていた。土曜日の夜を過ごしたのは、埼玉県の川越(かわごえ)という所である。合唱団の仲間であり、大学では後輩にも当たる友人が住んでいるのだが、今まで行ったことがなかったので、それなりの観光地でもあるらしい川越の見物も兼ねて訪ねたのである。

 私は全然知らなかったのだが、川越という町は「小江戸(こえど)」として知られる歴史都市らしい。平城ながら、松平家の居城があり、川越街道沿いに多く残る歴史的建造物が貴重である故、国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定されているという。

 「小江戸」という言葉を聞いて、思い浮かべたのは、私が中学・高校時代を過ごした兵庫県龍野市(現たつの市)が「小京都(しょうきょうと)」と呼ばれていたことだ。ふと、東日本の歴史的な町は「小江戸」で、西日本は「小京都」なのかな?という推測が心に生じたので、帰宅後にネットで調べてみると、決してそういうものではないようだ。

 「小京都」というのは、元々「〜の小京都」と呼ばれていた、いわば「他称の小京都」が10箇所あったが、1985年に「全国京都会議」というものを結成したところ、多くの町が加盟した(その後出入りがあって、現在は49市町らしい)。「他称の小京都」のうち、岐阜県高山市(飛騨の小京都)と広島県竹原市(安芸の小京都)は当初加盟していたものの、諸般の事情で退会してしまったので、残り8箇所の「他称の小京都」を除く41市町は「自称の小京都」である。「世界遺産」をめぐるドタバタを見ているとよく分かるが、最近の傾向として各地は、集客=経済効果が見込めるものについては、相当な無理・こじつけをしてでも我が物にしようとするから、「小京都」を名乗ることも、その流れの中にあるだろう。あまりアテにならないような気がする。「全国京都会議」加盟の市町は、北は青森県弘前市から南は鹿児島県知覧町まで、全国に分布する。「他称の小京都」に絞っても、「みちのくの小京都」秋田県角館市から、「薩摩の小京都」知覧までだから、これまた全国に分布する。ちなみに、我が兵庫県龍野市は、「播磨の小京都」という立派な「他称の小京都」である。

 一方、「小江戸」は、「全国京都会議」に相当するものとして、毎年「小江戸サミット」というものを開催しているらしいのだが、参加しているのは川越、栃木県栃木市、千葉県香取市という三つ固定で、いずれも「他称の小江戸」であるようだ。「小京都」ほどのインパクト(経済効果)がないので、他の町が名乗りを上げないのか、由緒正しい三都市が、ブランド力の低下を心配して、他都市の参加を認めていないのか、その辺の事情については分からない。「小江戸」の中でも、川越は最も権威ある存在のようだ。松平家の城下町ともなれば、さもありなん。

 友人に聞いた話によれば、川越を訪れる観光客は、年間600万人を超えるそうである。これは耳を疑う数だ。月に50万人以上、平均して1日に2万人近くが訪れることになる。その大半が、旧川越街道に沿った札の辻から仲町にかけての通称「蔵造りの町並み」に集中するとすれば、新京極に勝るとも劣らない雑踏になるだろう。実際、友人によればそうなのだそうだ。それだけの価値があるものなのかどうか・・・確かめてみなければ、と思った。

 さて、夜は川越になぜか数件あるという沖縄料理の店で散々ご馳走になり、さて、いよいよ川越観光だ、と思っていたら、朝から土砂降りであった。歴史的な町並みのそぞろ歩きなどできる状況ではないので、友人の運転する車で「川越市立博物館」という所に行った。私は「博物館」が苦手なので、「博物館に行くよ」と言われた時は、「えっ・・・?」と思ったのだが、行ってみると、これは大変面白いよくできた博物館で、退屈しなかった。映像をもう少し丁寧に見ながら回れば、丸々半日は十分に楽しめる場所だ。200円は安い。

 展示物のひとつひとつにも手間がかけられていて、見応えはあったのだが、一番面白かったのは、「川越唐桟(かわごえとうざん)」という伝統的織物の機織り実演であった。土日と木曜日にやっているらしい。

 土砂降りで、人がほとんどいなかったこともあり、ほとんど30分近く、3人の上品な女性に根掘り葉掘り質問をしながら、機織りの何たるかを教えていただいた。10種類くらいの違う色で染めた細い木綿糸を組み合わせ、機織り機に縦糸としてセットして、ようやく織るという作業が始まる。私たちの機織りのイメージである、機織り機で横糸を通してトントンと叩くという作業は、布を織る作業の中の本当にごく一部であり、そこに至るまでの糸つむぎや染色、機織り機へのセッティングといった作業こそが大変なのだ、ということがよく分かった。

 以前、富岡製糸場を訪ねた時、繭から絹糸を作る作業の実演で感動したことがある(→こちら)。その時と同じ感慨だ。どこかから発掘されたりした過去の遺品よりも、そうして人から人に伝えられてきた手の技術にこそ、私は厚みのある「文化」を感じて感動する。聞けば、機織り機の原型は弥生時代に既に作られていたそうである。

 博物館を出る時には、雨は更に強くなっていた。私は見物を完全にあきらめ、車で「蔵造りの町並み」を通ってもらうと、予定を早めて仙台に帰ることにした。車から見た「蔵造りの町並み」は、想像していたよりも「本物」が多く、ゆっくり見て歩けばそれなりに面白いだろうと思った。車から見た神社・仏閣にも立派なものが多かった。天気のいい時に、より積極的な気持ちで出直してみよう。