あきらめの民主主義・・・共産党のことも



 いろいろとあって、1週間、作文をする気にならなかった。決して、連日連夜の「忘年会」などということではない。長距離通勤の増加や、多忙化、飲酒・酒気帯び運転に対する過度な(?)注意などによって、私が就職してからの25年間で、職場の飲み会は激減。今年の師走は遂に1回(!)である。まぁ、景気が冷え込むわけだ。

 恐れていた選挙も終わった。与党の圧勝、中でも小渕優子の圧勝などを見てみると、今の「日本人」のレベルが分かる、というものである。民主主義とは、やはり、最善の選択をするためのシステムではなく、「みんなで決めたことだから仕方がない」と諦めるためのシステムであると思う。

 今回の選挙については、もちろん多くが語られているし、今更私が付け加えるべきことなどあろう筈もないのだが、選挙期間中を通して、ひどく気になっていたことを一つだけ書いておこう。

 共産党議席を3倍近くに伸ばしたことは、一応、私も歓迎している。共産党に対して私は、付かず離れずの立場を取っているのだが(→参考記事)、今の政党の中で一番まともなことを言っているのが共産党であることは間違いないし、国民の顔色を伺いながらパフォーマンスをするのではなく、自分たちの信念に基づいて動いているという姿勢においても信頼できる。第1党にならない範囲で、もっともっと議席を増やしていい政党だろうと思う。とは言え、今回の共産党躍進を、私は手放しで歓迎しているわけではない。上で「一応」と留保したのもそのことによる。

 今回、全国の選挙区で、「与党+共産+α(たいていは民主)」という三つ巴戦、或いはそれ以上で争った選挙区で、与党が勝った選挙区を見てみると、共産とその他の党が候補者を一本化できていたら、与党が負けたであろう選挙区、すなわち、与党の票と、それ以外の党の票の合計とを比べて、与党の方が少ない選挙区は、270選挙区中、実に81選挙区に及ぶ。つまり、野党の動き方次第で、与党の議席は81減らすことができたということだ。今回、与党が獲得した議席は325。81減ると244。過半数(238)をかろうじて上回るという数である。これは、まずまずバランスの取れた数である。

 政策から見れば、確かに、共産党が言うように、対決すべきは「自共」であり、共産党に民主や維新と候補者を一本化しろというのは無理がある。民主や維新の側も渋るだろう。共産の小選挙区候補者には、比例区の票の掘り起こしという使命もある。だが、本当に「自民党の暴走を止める」と叫ぶのであれば、どうしても必要な道だったはずだ。悪意的な見方をすれば、自民党を勝たせたのは、全ての小選挙区に候補者を立てた共産党なのである。だから、議席が21に増えたとしても、しょせん与党の6.5%、全体の4.5%に過ぎないということまで合わせて考えると、国政にとってはマイナスであるとも言える。

 もっとも、その責任を共産党に押し付けすぎるのはよくない。それ以上に悪いのは、小選挙区制という選挙制度である。死に票が増えるということはよく言われるが、まったくその通り。少数意見も含めて、選挙で意見が交わされるのはいいことなので、共産党とその他の野党が票を割ったことで、過半数の票が死に票になったというのは、やはり制度を批判すべきなのだろうと思う。

 共産党がらみでオマケを一つ。270小選挙区に立候補した共産党候補270人のうち208人が法定得票数に達せず、供託金(300万円)を没収された。しめて6億2400万円である。比例区では、重複立候補(300万円)で14人、単独立候補(600万円)で26人が没収となり、締めて1億9800万円。よって、党全体では8億2200万円を国庫に入れることになった。共産党の資金力というものには、いつも感心させられるのであるが、憲法で保障された被選挙権を行使したことで、これだけの支出を強いられるというのも、選挙制度の問題としてひどく気になる。

 論旨が一貫せず申し訳ない。共産党のやり方についての多少の不満が発端なのであるが、いろいろと考えていると、最後には選挙制度についての疑問が出てくる、というお話し・・・かな。


(後日の補)上の記事には間違いがある。12月21日『読売新聞』によれば、今回の選挙で共産党が没収された供託金は、3億円に満たないらしい(それでもすごい金額だけど・・・)。これは、私が法定得票と供託金没収点をイコールと誤解していたことによる。選挙だけではないが、社会制度はなかなか難しいね。