日本共産党の除名処分

 2月5日、日本共産党松竹伸幸氏が、分派活動を理由として、京都府委員会によって除名処分された。一般メディアによる報道では、1月に松竹氏が出版した本の中で、志位委員長が20年にわたる長期政権を続けていることを批判し、「党首公選制」を主張したことが、共産党の逆鱗に触れたとのことである。日本共産党のHPを見れば、どうやら他にもいろいろとあるらしい。
 日本共産党によれば、松竹氏が党内の会議で、一度もそのようなことを主張したことが無いにもかかわらず、書籍によって、いわば外部からもの申した点がよくないらしい。その点については、確かに松竹氏のやり方はフェアではない。が、「除名」が仕方ないとも思わない。
 私はかつて、二度、日本共産党について思う所を書いたことがある(→1回目2回目)。その際、日本共産党の体質は、ソ連や中国の共産党とまったく同じである、と指摘した。私が、日本共産党を嫌う理由である。権力から遠い立場にあるために、それが先鋭化しない、もしくは外部の人間に影響を与えないだけだ。だから、今回の松竹氏の除名などを見ていても、「ああ、やっぱり」と思うばかりで、驚きはない。

「「党首公選制」という主張は、「党内に派閥・分派はつくらない」という民主集中制の組織原則と相いれないものです。」(日本共産党HP)

 これはよく分からない主張だ。日本共産党の党規約第3条には、次のように書かれている。

「(1) 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
(2) 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。
(3) すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
(4) 党内に派閥・分派はつくらない。
(5) 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。」

 これを読むと、なぜ松竹氏が除名されたのか、ますます分からなくなる。
 おそらく、民主集中制とは、みんなで議論して決めるが、決まったら絶対に従う、というのが基本である。上の党規約では「党の意思決定」についても、「指導機関(=党首?)」についても、ほぼ同様の書き方がされている。(3)で「すべての指導機関」と言うのは、都道府県や地区、支部の指導機関を含むから「すべての」と書かれているのだが、中央組織についても適用可能である。だとすれば、全党員による選挙で党首を選び、決まった党首に絶対服従する、ということも可能であり、公選制は民主集中制と何ら矛盾しない。しかし、実際にはそれが行われていない。
 日本共産党の規約によれば、都道府県組織で党大会の代議員を選び(第30条)、党大会で中央委員を選び(第20条)、中央委員が委員長を選ぶ(第23条)ことになっている。これでは、党員が自分たちで党首を選んでいる実感は持てないであろう。しかも、中央委員会の役割として、「幹部を系統的に育成」することが規定されている(第21条)。こうなると、幹部は上から下りてくるものになる。松竹氏の主張は、そこに息の詰まるような閉塞感を感じる人がいる、ということを意味するのではないか?
 仮に党首を公選する場合、選挙では誰かを支持するわけだから、対立選挙が行われる限り、同じ人を支持する人がグループを作らなければ、選挙活動もできないわけで、それを分派活動だと言ってしまえば、誰かの意思によって特定の1人しか立候補せずに党首が決まる、ということになる。上の規約で言えば、その「誰か」が「中央委員会」なわけだ。すると、中央委員によってその1人が決められると、一般党員はその人以外の人を支持することも、その人を支持しないこともできなくなってしまう。
 松竹氏の主張を分派活動だというのは、どうしても指導部(中央委員会)に対する異論は認めない、ということに見えてしまう。内部の会議で意見を言え、突然、本に書くのは卑怯だ、というのが正論だったとしても、党内部の秘密を暴露したわけでもあるまいし、聞き流すなり、それを元に内部で議論を始めるなりすればいいだけの話である。
 松竹氏問題に対して、マスコミは批判一色である。当然であろうが、たかだか一つの小政党(国会議員数21)の内部問題である。本当はとやかく口を挟む必要などない。だとすれば、共産党は、それらをマスコミの厚意だと思った方がいい。共産党にもっとまともな政党として成長して欲しい、という気持ちの表れとして、である。