選手を育てるという「文化」



 いささか手前味噌な話になるし、あるいは、誰にとってもよくあることかも知れないが、私が言っていたことがあとから現実になる、ということが時々ある。それが最近は増えているような気がする。もちろん、少しは気分がいい。

 最も典型的なのは佐村河内守事件であるが(→こちら)、御嶽山が噴火した直後の、登山届けに関する話(→こちら)も、その後、社会問題化し、条例化さえ検討されるようになっている。そうしたところ、2〜3日前に、巨人がヤクルトに対して、トレードの人的保証として高卒2年目の選手を放出したことが問題となっていた。

 ネットで見た『日刊ゲンダイ』が出所らしいその記事には、次のようにある。


「「私(高橋善正氏)が巨人の投手コーチをやっていたころは、高卒選手は5年間は面倒を見るという球界の暗黙の了解があった。高校生は伸びしろがある分、長い目で見る。ドラフトで獲得した以上、せめて最初の1年くらいは28人のプロテクトリストに入れて保護するのは、高校側への最低限の礼儀でもある。こんなことをやっていては、高校の指導者から『もう巨人には選手を預けない』となってもおかしくありません」

 ただでさえ巨人は近年、高校側から敬遠される傾向がある。昨年、ドラフト上位候補を擁したある強豪校の指導者から「巨人さんは指名を見送っていただきたい。○○は他に行かせたい」と“指名拒否”を食らっている。理由は「二軍で段階を踏んで一軍に昇格するシステムが確立しているチームがある中、巨人は補強などで即戦力ばかりを重宝し、本気で高校生を育てて起用する気があるとは思えないから」と言う。」


 私は昨年、巨人と楽天の2軍の試合を見に行って、巨人は育成のために2軍を上手く使おうという意識が低い、巨人の2軍は1軍に上がれる可能性が少なく、選手の閉塞感も強いだろうというようなことを、楽天の育成と対比させながら書いた(→全文はこちら)。上の記事を見ると、その共通性に思わずニンマリしてしまう。

 有名な私の口癖のひとつに、「文化の質はかけた手間暇に比例する」というのがある(→この言葉について)。試合の結果は文化の質の表れではあるが、他の球団から即戦力となる優秀な選手を連れてきた場合、その選手に手間をかけたのは他の球団である(もちろん本人もだが・・・)。他の球団が費やした時間の上に立って結果を出したとしても、それはその球団の文化の質ではない。

 大リーグのみならず日本のプロ野球も、昔に比べると、FAなどの制度整備によって、選手の流動性が格段に高まっている。どうもあまりいいことに思えない。育てた選手が容易に抜けてしまうのでは、球団も、育てることに手間暇を費やさなくなる。私にとって、それは勝てないという以上につまらないことだ。

 ところで、正月休みに見たテレビ番組の中で最も面白かったのは、「プロ野球を変革した男〜V9巨人川上監督の軌跡」というものであった(12月31日、NHK)。川上巨人がV9を達成したのは、私が正に野球少年だった小学校時代なのだが、私は、ドラフト制度が発足以前に、他球団にはないネームバリューと豊かな資金で、王、長島といったスター選手を節操もなく集めた結果の9連覇だと思っていた。この番組を見て、実はその認識が間違いであることを知った。川上哲治という監督の、極めて科学的な思考と人を見る目とが、巨人の黄金時代を作ったらしいのだ。特に、川上巨人が初めて優勝した時、チーム打率がリーグ最下位だったというのは驚きである。

 誰の言葉だったか知らないが、「巨人の伝統とは勝つことである」という有名な言葉がある。だが、勝ちさえすればいい、そのための手段は選ばない、というのが巨人の伝統ではないようだ。野球が人間によって行われ、選手が育つことでチームが強くなるものだとすれば、いくら流動性が高まったとは言っても、やはり「育てる」という文化の本質に関わる部分は、疎かにしてはならない。それでこそ、質の高い文化に触れる快感も生まれてくるのである。