偉いぞ、東スポ!

 9月11日(水)に日刊スポーツのネット配信記事で知った話だが、中日のドラフト1位新人・根尾昂選手ほか1名が、信号機のある横断歩道を渡らず、離れた地点の道路を渡り、それを目撃した市民から球団に連絡があったため、球団が所轄警察署にも届けた上で、厳重注意したという。おいおい正気か?との思いが、何重にも湧き起こってくる。
 それは、横断歩道のないところを渡った中日の2選手についてではない。
1:そんなことをわざわざ球団に通報する人がいるのか!・・・?
2:そんなことを警察に届ける必要があるのか?
3:そんなことが「厳重注意」の対象になるほど悪いことなのか?
4:そんなことが、新聞で報道するに値する問題なのか?
 まぁ、私が抱く疑問とは、ざっとこんなところである。
 歩行者信号機を守るか守らないかというのは、国民性との兼ね合いで話題になることがある。私もいちいち憶えていないが、そもそも、そんなものを守る国の方が圧倒的に少ないのではあるまいか?まして、歩行者が信号機のないところを渡ることが「悪」だなどという感覚は、探す方が難しいに違いない。
 歩く・走るというのは最も素朴な移動手段である。他の移動手段は後から発明されたものだ。それらは「歩く・走る」に対して、後続としての遠慮をするのが原則であろう。しかし、それでは車や自転車が頻繁に停車しなければならず、今や世の中の活動に甚大な支障が生じるから、ある程度は車に譲ってやって、その代わり、歩行者信号機や横断歩道なるもので最低限、歩行者の権利を確保しよう、ということなのではないか?私はそう理解している。だから、歩行者が車の通行を妨げているわけでもない状況で、信号機や横断歩道が歩行者を縛るなどということがあれば、本末転倒。規則は守るための規則として人の生活の妨げとなる。歩行の自由は、最大限尊重されるべきである。
 球団がこの件を公表したことについては、次のような事情が想像できる。まず、道路交通法第12条に「歩行者は、道路を横断しようとするときは、横断歩道がある場所の附近においては、その横断歩道によって道路を横断しなければならない」とある以上、「附近」をどこまでとするかだが、おそらく選手の行動は法令違反であり、違反である以上は「悪」と考えざるを得ない。「悪」である以上、管理者として注意することが必要だ。次に、それを知って公表せず、警察にも届けなかった場合、後から「隠蔽しようとした」と批判される可能性がある。だとすれば、公表しておいた方が安全だと考えた。だいたいにおいて、こんなところであろう。
 今の、萎縮傾向が強く息苦しい世の中の病理がとてもよく表れている事案と言える。私は今までにも何度となく書いていると思うが、規則は世の中を円滑にするためにあるのであって、人を縛ることを目的としてあるのではない。そのような基本的理念を理解せず、末端、表面にばかりこだわると、規則は凶器となる。形式主義教条主義と言ってもよい。
 あれこれ検索してみると、東京スポーツ新聞社の記事(東スポWeb)では、球団がこの件を公表したこと自体について「そんなことで厳重注意されなきゃいけないの?」というデスクの言葉を載せている。一般紙では報道されなかったと思うが、それは東スポと同じく、「こんなことで?」という評価を示しているのかも知れない。これらの感覚の方が健全である。
 だが、匿名の似而非(えせ)正義漢が多く、「悪」を大げさに叩きがちな現在の状況下にあっては、「載せない」のが関の山。東スポのような記事を書くことには勇気が必要だ。だからこそ、それが評価に値する。裸の王様に「裸だ」と言ってあげることは益々難しい。偉いっ!!東スポ