過剰防衛のうるささ



 昨日は、かつての特殊な教え子(→とは?)から酒を呑もうと誘われ、夕刻、のこのこ仙台まで行った。例によって、高速バスである。6時から酒を呑み、最終が県庁前20:58なので、深酒をしすぎることもなく、実に適度に気持ちのよい酒を呑むことができた。

 それはいいのだが、バス、いや鉄道も含めた公共交通機関に乗っていて、年々気になることが一つある。昨日の往路のバスは、それが極端なまでにひどかった。

 気になることとは、過剰な放送である。「発車しますのでご注意下さい」「停車しますのでご注意下さい」「路面状況が悪く、揺れておりますのでご注意下さい」「右に曲がりますのでご注意下さい」「左に曲がりますのでご注意下さい」、加えて、仙台駅前に着くと、降車するほとんど一人ひとりに、「お足元にご注意下さい」「歩道と車体の間が少し開いておりますのでご注意下さい」・・・という具合だ。バスが信号や停留所で発車したり停止したりするのは当たり前、道路が曲がっている、あるいは交差点で曲がることがあるのも当たり前である。「路面状況が悪く揺れております」だって、暴れ馬のように揺れているのならともかく、補修工事か何かの都合でアスファルトに継ぎ目があるとか、地下鉄工事の影響で、路面に鉄板が敷いてあるとか、その程度のものなのである。定員制のため、誰一人立っているわけでもないバスで、なぜこれらの放送による注意喚起が必要なのか理解できない。その運転手は、私がバスに乗っている間に、100回くらい「ご注意下さい」を繰り返したと思う。「携帯電話での通話はお控え下さい」と言っておいて、これは何なの?と思う。

 おそらく二つの理由があるのだろう。一つは、何かをすることこそがサービス(親切)だ、という発想である。しないことによって得られる静けさや落ち着きには価値がなく、付け加えることには価値があるのである。もう一つは、万が一、何かの事故があった時に、言い訳が出来るように、常に手を打っているということである。

 最近(?)、広告などでも、「イメージです」というような書き込みを見ることが多い。ものによっては、「天候により、富士山が見えないこともありますので、予めご了承下さい」などと書いてある場合もある。旅行広告で、青空の中にそびえる富士山の写真を見て旅行に参加し、行ったら曇っていて富士山が見えなかった時、「あの写真でだました」と文句を言う人がいるとは、とても私には考えられないのだが、イメージだということを書き添えておかなかったために、トラブルが発生した事例があるのだろうか?おそらく、あるんだろうなぁ。予防には際限がない。打てる手は全て打つしかない。こうして、世の中には「余計なお世話」が増殖していく。

 その結果、今回の例で言えば公共の静けさが壊されるのはもちろん、客の側に、自分自身の注意義務という観念が欠落し、人を非難する心性ばかりが大きくなっていく。

 そう言えば、先日、札幌ドームでファウルボールを目だったかに当てて後遺症が残った事故について、球団の責任を認め、4000万円を超える損害賠償・慰謝料を支払うことを求める判決が出た。バスの放送と似たようなものである。野球場でボールが飛んで来るというのは、極めて予見しやすいことである。よそ見は論外。自分の運動神経を考えて、それを避けられないと思えば、家でテレビ観戦すればよい。そんな人がどうしても球場に行きたいと勝手に言って、他の人たちが檻の中で野球を見ることに付き合わされるのはバカげている。アメリカの球場は、ホームベースの後ろのごくわずかな部分にしか、防球ネットが付いていないらしい。賢明である。球団は控訴したものの、ファウルボールへの注意喚起のための放送を、今までよりも増やすという。これだけでも十分に迷惑だ。球場ではボールが飛んでくる可能性がある、それを避けるのは観客自身だ、ということを常識、すなわち暗黙の了解事項にすべきである。

 「公」の責任を何かにつけて問い詰めようとすれば、過剰な防衛が為されるようになり、それは、結局のところ、さまざまな不都合となって跳ね返ってくる。私は公共のスペースでの静けさを大切にしたいし、野球はネット越しにではなく見たい。