輝く長老の価値



 昨日の朝日新聞「思い出す本、忘れない本」欄では、自民党の元幹事長・古賀誠氏がM・ウェーバー『職業としての政治』を取り上げていた(インタビュー記事)。ひどく表面的な印象に基づく偏見で申し訳ないが、似合わないな、と思った。実は、古賀氏に関する私の印象というのは、悪い意味で「昔の親分」風、水戸黄門に出てくる「悪代官」なのである。あまり品がなく、旧弊で強面(こわもて)、腹の底で何を考えているか分からない、というものだ。同じく自民党の元幹事長・野中広務氏もこの点で大変よく重なり合う。

 ところが、ウェーバーを取り上げていることもさることながら、古賀氏の言っていることも大変まともで、私はひどく感心してしまった。初当選した時に、氏はこの本を田中六助元自民党幹事長から「何十回でも読め」と言われてもらい、以後、何百回と読んだ、と言う。そして・・・

「政治とは何か。権力とは何か。政治を行うことは、悪魔の力と手を結ぶようなことだと書かれています。だからこそ、政治家は禁欲し、規範を持たなければいけないとも。」

「権力というものは、それはね、怖いことですよ。我慢も辛抱もやめて、決めてしまえば決まるという場面はいくらでもあるわけですから。」

「権力の怖さを一番実感した時?それは今です。憲法さえも無視してしまうんですから。」

 そういえば、古賀氏が安倍政権に批判的だという話は、何度か耳にしたことがある。今更ながらにどんな立ち位置の人だったっけ?と思い、ネットで探してみると、憲法第9条を擁護しつつ、自衛隊に肩身の狭い思いをさせないように、第2項だけは手直ししようとか、天皇を含む国民全員が靖国神社に参拝するように呼びかけつつ、A級戦犯分祀を訴えるなど、柔軟で分別のある主張が目に付く。そういえば、印象が古賀氏と重なり合う野中広務氏も、「国旗国歌法」の成立には積極的な立場を取りつつ、教育現場での強制には非常に批判的だった。

 安倍政権が発足後、戦前回帰だという批判を耳にすることが多い。首相一人だけの話ではない。法曹資格を持つ副総裁や幹事長が、砂川判決を根拠に安保法制を合憲だと主張して恥じない時代である。私が見ていても権力が暴走し、異論を封じ込め、軍を重要視する姿勢は戦前回帰である。こうなると、終戦を原点として戦前にまで回帰していない自民党の長老たちは、安倍政権発足までは古くさく見えていたが、今や古くささが消え、がぜん価値を帯びて見えてくるのだ。「古い」「新しい」は、相対的な概念だ。今回の記事は、そんなことに気付かせてくれた。

 幸か不幸か、古賀氏は議員を引退してしまった。だが、自民党内で大切なのは、このような骨のある人であり、そんな人が安倍政権の問題を正面から指摘し、自浄へ向けて動くことなのである。そして出来れば、そんな人の背中を見つめ、過去の賢人にも学びながら、自分の利益ばかりに振り回されずに動くことのできる人が、自民党でも若手から出てきてくれれば、まだ多少は夢や希望を語ることも出来るのに、と思った。