北朝鮮対応の怪



 北朝鮮が特異な国だということは、私も承知していて、気味悪く思うことも多いのだが、北朝鮮を巡る日本政府その他の反応にも、私の理解及ばない点は多い。

 7日、北朝鮮が「人工衛星」を発射した。報道は「ミサイル」または「事実上の長距離弾道ミサイル」だった。北朝鮮が「人工衛星」と言っているものを「ミサイル」と言い換えるためには、それなりの検証やためらいというものが必要だと思うが、なぜ揃ってここまで断定口調なのだろう?報道によれば、二つの物体が、地球の周回軌道に乗ったそうである。まず最初に、その「人工衛星」なるものの正体を明らかにするように北朝鮮政府に迫るのがスジというものだ。その上で、回答が無かったり、内容に不審な点があれば追求していくという順番が必要である。政府のみならず、マスコミがこぞって「ミサイル」と非難するのはいかがなものか?

 言うまでもなく、日本もアメリカも中国もロシアも・・・多くの国が人工衛星を飛ばしていて、気象観測やら通信やらで絶大な恩恵を受けているのだから、たとえミサイルと人工衛星の発射が技術的に等しいとしても、北朝鮮にだけ我慢しろというのは変な話である。しかも、日本も含めて、世界では今や宇宙ビジネスが盛ん。人工衛星の打ち上げだって、商業的に行われているのである。自分たちでは核を持っていながら、他国には持たないように強硬姿勢を取るアメリカを始めとする核保有国の胡散臭さとよく似ている。

 一昨日、政府は独自の北朝鮮制裁案を発表した。人工衛星=軍事ミサイルという発想からすれば、新たな制裁措置が出てくるのは意外でもない。私が不思議なのは、拉致被害者家族連絡会(通称:家族会)が北朝鮮への制裁強化を求めたということである。ずいぶん昔から思うのだが、拉致被害者の家族が、北朝鮮に対して強気の発言を繰り返すのが、私には本当に理解できない。自分の家族が人質に取られているのである。あまり強行姿勢を取れば、生きている家族も殺されるかも知れない。家族会はむしろ、ややもすれば北への圧力を強めようとする日本政府をなだめるのが役割であろうと思う。(下の「補」参照)

 制裁はたいていの場合、底辺層を直撃し、政府中枢の人間には及ばない。制裁によって、底辺層の不満が国家体制の転覆をもたらすくらいになれば立派なものだが、北朝鮮という国の体制を思うに付けても、それはなかなか容易に実現するまい。

 先月だったか、水爆実験に成功したという発表もあったりしたので、余計に気味が悪いのは確かだ。だが、物事はとかく過激な側にばかり動きがちである。どんな時でも、一歩立ち止まって物事を見る冷静さ、相手の言葉に耳を傾けようとする寛容さは必要であろう。(→参考「光は肯定の中にのみ」)


(補)2年ほど前、森達也『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』(2013年、ダイヤモンド社)を読んだ時(→参考「事実を求める眼」)、ああ、同じことを考えている人がいるんだ、やっぱり森達也はさすがだ!と思った(←この言い方ちょっと偉そうかな?)。森氏は、第5章「不安と恐怖に煽られて歯をむき出す犬に石を投げつけてどうする」において、家族会が制裁強化を求めることについて、上と同様の疑問を呈している。