松尾貴史の「ちょっと違和感」

 秋晴れの気持ちのいい2日間だった。我が家から見える海は真っ青。今日は、午後のおやつを食べた後、娘と自転車で北上川の土手を走りに行った。風もそよそよと爽やかで、これで片手に北上川、片手に金色の田んぼだったらどんなにいいだろうと思いながら(実際は片方が住宅地)、1時間ほど自転車をこいだ。
 さてさて、私は毎日、3種類の新聞にごく短時間で目を通す。もっとも、自宅で取っているのは河北と毎日だけである。朝日は、平日は学校で読み、土日は近くのコンビニで買うので、一気に3紙というわけではない。だいたい落ち着きのない慌ただしい生活をしているから、大抵は斜め読みで、丁寧に読むのは一部の記事だけである。判断基準は「直感」だ。当然、連載小説を読むなどというまどろっこしいことはしないし、それ以外の連載ものも、必ず読む、というものは基本的にない。
 そんな私が、唯一、必ず気にしながら目を通しているのは、毎日新聞の日曜版に載っている松尾貴史の「ちょっと違和感」というコーナーだ。今日のテーマは、先日の衆議院本会議における首相の所信表明演説と、それに自民党議員が起立して拍手を送ったというあの出来事だ。「異様というか、面妖とすら言える光景だった」「あれだけ大勢の自民党議員が、皆同じ方向を向いていることの気色悪さに、自覚症状はないのだろうか」「憲法改正についての言及がさらに踏み込んだ表現で行われた。(中略)憲法を変えること自体については賛成でも反対でもないが、少なくとも秘密保護法や「戦争法」と呼ばれる安保法制の強引な進め方、集団的自衛権解釈改憲など恣にし、「新・共謀罪」も創設を画策している現政権のもとでは、絶対に御免こうむりたい」。昨今の政権の動きについての感想としては、内容的に平凡と言ってよいものかも知れないが、表現が潔くて妙に痛快だ。
 もっとも、この人の本領発揮は、誰しもが問題にするような国会や政権の動きではなく、「ちょっと違和感」という言葉にぴったりの、日常的でさりげない、それでいてよく考えると「なるほど!」と思えるようなことの指摘にある。芸能の世界に疎い私は、「放送タレント」と書かれているこの人について、ほとんど何も知らない。先日、我が家の人気番組「ドクターG」にゲストとして出演していて、初めて映像でその姿に接したのだけれど、文章を読んでいる方がよほどまともな人に見えた。ただ、とにかく、冷静な観察眼、報道を鵜呑みにせずに問い直し、大切なことを見つけ出していく精神生活のあり方は、なかなか立派なものだと私は感心している。
 読んでいてよく思い出すのは、例の(→こちら森達也だ。今日もそんなことを思いながら読んでいたら、文章の最後のところで更にハッとした。そこにはヒトラーの右腕だったヘルマン・ゲーリングの次のような言葉が引いてある。

「国民は戦争を望まない。しかし決めるのは指導者で、国民を戦争に引きずり込むのは簡単である。外国に攻撃されつつあると言えばいい。それでも戦争に反対する者に対しては『愛国心がない』と批判するだけでいい。」

 私は、森達也がこの言葉を引くのを何度か見たことがある。そう思いながら、ふと森の『日本国憲法』なる本を手に取ると、178ページにもう少し長い形で引用されていた。まともな人は、という言い方が正しいかどうかは知らないが、結局同じようなところに行き着くんだよな、という納得があった。